Erforsche mich, Gott

アーノンクールとレオンハルトが分担して録音したオリジナル楽器によるJ・S・バッハの教会カンタータ全集は、80年代に入ってディジタル録音に移行し、CDでもリリースされるようになった。教会カンタータはバッハ作品番号の1―199番にあたる(190番台後半は結婚式や葬儀のためのカンタータなので、厳密には教会カンタータとは呼べない)。アーノンクールとレオンハルトによるこの全集は、誤ってJ・S・バッハに帰せられたものを除き、BWV 199 までの全曲を(作曲年代や教会歴の順序でなく)作品番号順に録音していくプロジェクトだった。制作が始まった70年代初頭はもちろんアナログ録音であり、2枚組のレコードにスコアと解説が付されたBOXセット形式でリリースされていた。コンツェントゥス・ムジクス・ウィーンとレオンハルト・コンソートというオリジナル楽器のオーケストラ母体は完結まで同一だった(もちろんメンバーは随時入れ替わった)けれども、コーラスの方はプロジェクトの前後半で交替した。アーノンクールの場合、ウィーン少年合唱団とコルス・ヴィエネンシスからテルツ少年合唱団に、レオンハルトの場合キングズカレッジ・クワイヤ・ケンブリッジとテルツ少年合唱団からハノーファー少年合唱団とコレギウム・ヴォカーレ・ゲントへという具合である。

わたしがこの全集録音を聴き始めたのは80年代前半で、CDで出始めたBWV 120番台からである。リリースされるたびに購入し、まだCD化されていなかった前半のアナログBOXは、公立図書館で借り出してカセットテープに録音していた(!)。だから120番台からはリリース順、それ以前の録音は作品番号を下りながら聴いていくという順序になった。当時はウェブ上でJ・S・バッハの全作品のスコアを参照できるという時代ではなかったから、アナログ盤のスコアはとても貴重で、わたしはレコードの巻も少しずつ買い求めるようになったし、封入されたスコアからいくつかのアリアをシンセサイザーに打ち込んで遊んだりもしていた。

わたしがまず魅了されたのはBWV 127-129 の3曲で、いずれもレオンハルトの演奏だった。以前からわたしにとって、J・S・バッハ自身が弾くかのような彼のチェンバロ演奏は唯一無二のものだったし、彼が指揮と独奏を担当したブランデンブルク協奏曲集ではチェンバロ演奏同様の鮮烈なリズム感に魅了された。これに対してカンタータの演奏は、ふっと始まってふっと終わってしまうのがむしろ衝撃的で、こんなふうにJ・S・バッハが演奏できるのかと思った。レオンハルトには絶対テンポ感とでも呼びたくなるセンスがあり、これはあまり押し出しの強くない曲を取り上げる際によく発揮される。たとえばツィーグラー・カンタータの一曲BWV 74の冒頭、昇天祭オラトリオBWV 11 の終曲、舞曲を集めた世俗カンタータを原曲とする BWV 184などを聴いていただければよくわかる。特別に速くも遅くもない。聞きなれないアタックなりアーティキュレーションなりを伴って始まることもない。気がついたらもっとも心地よい音楽の流れが作り出されている。これが稀有なのである。BWV 127-129 の演奏にもそういうレオンハルトの特性がよく現れていて、わたしがこの音楽家にのめり込んでいくもう一つのきっかけとなった。

BWV 130以降は、131(「われ深き淵より」)、140(「目覚めよと呼ぶ声あり」)、147(「心と口と行いと生活で」)といった大規模な有名曲が並ぶ。どういう経緯で分担が決まったのか知らないが、この3曲ともアーノンクールの担当である。当時のわたしは140か147のどちらか一つくらいはレオンハルト・コンソートの演奏で聴きたいと思っていたので、これらを収録した巻が出たときには、正直に言ってがっかりした。アーノンクールの演奏が悪いわけではない。コンツェントゥス・ムジクスとテルツ少年合唱団の組み合わせは、溌溂とした響きとリズムが楽しく、オリジナル楽器で聴く教会カンタータの一方の魅力を代表している。わたしもこれらの録音を繰り返し聴いた。しかし、レオンハルトとアーノンクールのカンタータ演奏を比較すると、どうしても前者の方がおもしろく、味わい深いと感じざるを得なかった。

アーノンクール死去の報に接して、久しぶりに聴いたのは、BWV 136 である。80年代にアーノンクールの演奏で聴いた教会カンタータの中で、その清冽さが特に好きだったためだ。140や147を録音したのと同時期の演奏である。おそらく彼がモーツァルトのオペラを精力的に振っていた時期とも重なるのではないか。YouTube にもあるだろうから(著作権の問題があるのでリンクは貼らない)、アーノンクールの古楽時代(!)からモダン演奏への移行期に興味があるかたはどうぞ。

アーノンクールの死を悼む記事を書くつもりだったのに、レオンハルトの方を持ち上げてしまい、まるっきり追悼にふさわしくない内容になってしまった。わたしにとっては、この二人がいない世界というのはほとんど幽霊屋敷のようなものである。

カテゴリー: グスタフ・レオンハルト(Gustav Leonhardt), ニコラウス・アーノンクール, 音楽   パーマリンク

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