『牯嶺街少年殺人事件』を撮るということ

エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』が公開されてから四半世紀経った。1991年は、冷戦の終わりを記す年であり、日本にとっては終わりの始まり(いまわたしたちが目の当たりにしている日本の衰亡の起点)である。エドワード・ヤンは本作でその照準を1960年の台湾に合わせ、対日戦争と中国内戦という二重の重石を背負った国民、なかでも大陸から台湾に「国内」亡命した世代とその二世の生活を犀利な眼で捉えている。だからこの作品をいま見る者は、日中戦争と戦後、さらに本作が制作された91年から25年後の今日に至るまでの時間とできごとの厚味を体験することになる。

エドワード・ヤンが本作を撮った時に、その後の25年のことなど念頭になかったのは当然だ。しかし、日中戦争から1960年に至る中国と台湾の人々の歴史を、彼が現に生きている1991年という時点において受けとめることが、本作の制作理由だったことは間違いない。いまわたしたちが『牯嶺街少年殺人事件』を経験する時に、監督の覚悟とその成果を同様に受けとめることができないのであれば、わたしたちには映画を見る意味もそれを制作し続ける意味もなくなる。

この世界の不正に対するあれほど重い告発にもかかわらず、『牯嶺街少年殺人事件』は見る者にこの世界を信じるよう促し、映画あるいはアートの役割がけっして終わっていないことを証明する。これこそが本当の映画にしてアートである。

カテゴリー: 牯嶺街少年殺人事件   パーマリンク

コメントは受け付けていません。