『アブラハム渓谷』のシューマン「月の夜」

オリヴェイラ『アブラハム渓谷』を見に高崎に行ってきた(4月3日)。シューマン「月の夜」(Mondnacht, 『リーダークライス』 op.39-5)がどの場面に流れるのかを確認したくなったからだ。使用される二箇所のうち一つは初見のときに強く印象に残った――ラスト近く、エマが幼いころから亡き母を除けばもっとも深く信頼し、大切にしてきた洗濯女のリティーニャを抱擁する場面である――オリヴェイラ作品でのシューマンの引用として、『神曲』ラストの『ウィーンの謝肉祭の道化芝居』と並んでわたしはここが好きだ。

昨日フィルムセンター所蔵のフィルムで見直して、もう一箇所がリティーニャの別のシーンであることを確認した。彼女はエマの結婚を機にその嫁ぎ先へ従いて行くものの、小姑たちから疎んじられ、自分が洗濯したハンカチが失くなったと言われたのに腹を立ててエマの実家に帰ってしまう。幼年期との繋がりをこれですべて失ったエマはひどく嘆く。「月の夜」は、エマの実家に戻った後、黙々と洗い物をするリティーニャのショットで流れる。

わたしはオリヴェイラの音楽の使い方を必ずしも好まない。『メフィストの誘い』(原題『修道院』)のように、大音量のオーケストラ曲(ストラヴィンスキーやバルトーク)をのべつ流されては頭が痛くなるし、『神曲』のシューマンの場合でも、予言者(ルイス・ミゲル・シントラ)の台詞に被せてマリア・ジョアン・ピレシュにわざわざ「予言者としての鳥」(『森の情景』)を演奏させるのは冗長だと思う。他ならぬ『アブラハム渓谷』についてさえ、映像とナレーションの編集だけで完璧と言っていい作品に、「月の光」にちなんだピアノ曲をあんなにたくさん重ねる必要はなかったと言いたい。しかし、それでも本作のリティーニャの二つの場面におけるシューマンと、蝋燭を掲げてエマが夫の部屋に行くところで流れるドビュッシーは格別である。

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