『クリムゾン・キモノ』、『セヴィリャの理髪師』のフィガロのアリア

昨夜はアルスラン『黄金』をめぐって中途半端な報告を書いてしまった。カメラワークや編集の詳細について何も述べていないが、これらを書くにはネタバレが必要になる。これから多くの観客に見られる作品についてネタバレは控えたい。

ところで、フラーの『クリムゾン・キモノ』を録画で見た。素晴らしいフィルムなので、詳細は別に書くつもりである。ここでは本作に引用されている、ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』のフィガロのアリアについて書く。『クリムゾン・キモノ』の捜査官、グレン・コーベット(『ベートーヴェン通りの死んだ鳩』)が信頼する情報提供者の一人は、ロサンジェルスの劇場で書き割りの絵を描いている女性画家のマック(アンナ・リー)である。コーベットがある殺人事件について情報を得ようと、リーの仕事場に足を運ぶ場面で、彼女が聞いているのか、あるいは劇場のリハで流されているのかする音楽は、ロッシーニ『セヴィリャの理髪師』第一幕、フィガロが登場する場面のアリア(「俺は町の何でも屋」)である。マックという役回りが『クリムゾン・キモノ』におけるフィガロのようなものだから、この音楽の選択はぴったりだ。しかし、もう一つ重要なことがある。

このアリアは、『ショック集団』のパリアッチ(主人公の隣りのベッドで夜通しオペラのアリアを歌っている大男)が歌っている曲である。わたしは『ショック集団』を見た後、パリアッチはレオンカヴァッロの『道化師』(I Pagliacci)のことかと思い、さっそくこのオペラを聴いてみたが、こちらは洗練された近代の楽曲であり、様式上何のつながりもないことは明らかだった。

その後は忘れて放っておいたのだが、『クリムゾン・キモノ』のマックの場面で、『セヴィリャの理髪師』のアリアが流れるのを聴いて、ようやく『ショック集団』の歌を含めて謎が解けた。

だから何ということもない話である。ただ、最近フラーとロッシーニというほとんど無関係のエントリーを書いていたら、思わぬつながりがあったので報告まで。

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