ゲッリウス『アッティカの夜』

西洋古典叢書(京都大学学術出版会)の一冊として、アウルス・ゲッリウス『アッティカの夜』の翻訳が上梓された(大西英文先生による本邦初訳。第一分冊には原著の九巻までが収められており、第二分冊が出れば完訳)。エピクテトスからウェルギリウスまで、きわめて広範な古今の希羅著作が渉猟され、諸国の珍しい生活習慣から哲学・論理学・幾何学・弁論術・修辞学に至るさまざまな主題が取り上げられる。

アッティカ遊学中、著者自身の夜の無聊をなぐさめるために書かれたため、古典ギリシア語文献の引用が至るところにあり、邦訳でも適宜ギリシア語原文が掲げられている。原典が散逸した文献の引用も多く、アリストテレス『問題集』断片二二四、キケロー『市民法を学術化することについて』、カエキリウスの喜劇『プロキウム(首飾り)』、ウァッロー『ラテン語考』第八巻等々、従来原典を知るよすがとして取り上げられてきた記述にいくども出くわす。個々の原典をめぐる研究論文の中でゲッリウスの記述が指示または引用されることはあっても、それらを含む彼の文章が丸ごと訳出されることはこれまでほとんどなかった。

古典ギリシア語なりラテン語なりを学ぶ者にとってきわめて興味深い、文法学上の指摘もてんこ盛りである。たとえばラテン語の未来不定法(わたしたちが学ぶように、すでにゲッリウスの時代には、主語の性数格に応じて変化するという規則になっていた)をめぐって著者は、キケローのそれが主語の性数格にかかわらず一定なのは誤りではなく、古いラテン語文法を踏襲していると指摘する(第一巻七)。これは実際、『ウェッレス弾劾』などに用例があるので、キケローを原文で読む者には貴重な教えである。この他ざっとあげれば、ウェルギリウス『農耕詩』の従来の写本が誤って伝えたとみなされる語法(第一巻二一)、ギリシア語とラテン語の語形変化の規則性(第二巻二五)等、現代の読者が知ったところで必ずしも役には立たないもろもろの記述が興味深い。だれが読むんだこんな本(おれだ)。

本書を繙く者がまずめんくらうのは、序文におけるこの種の著作の題名をめぐる蘊蓄である。曰く、「手遊(すさ)びに、これらの覚え書きを認(したた)め始めたのが、田野の広がるアッティカの郊外での、長い冬の夜のことであったという理由から、わたしは[纏(まと)めて]『アッティカの夜』という題名を与えることにし、ギリシア、ラテン両言語の他の大抵の作家たちが、この種の書き物に与えたような魅力的な書名を真似ることはしなかった」。もちろんこの後に続くのは、そういう「魅力的な書名」のギリシア、ラテン両言語による列挙である(『ムーサエ』『シルウァエ』『綾錦』『アマルテイアの角』『蜂の巣』『牧場』『読書録』『古文註解』『詞華集』『逸話集』『灯火』『つづれ織り』『百科全書』『ヘリコン』『問題集(プロブレーマタ)』『便覧[要録]』『脇差し』『摘録』『実用集(プラーグマティカ)』『余録(パレルガ)』『教本』『博物誌』『歴史百般』『万の果実』『語り種』『雑録』『倫理書簡集』『書簡体論考』『雑問集』)。脇差し、とは。

達意の訳文、適切な原文の引用、行き届いた註解がありがたい(たしかに第六巻二一の “quoad” の用法をめぐる記述など、注がないため意味不明に見える章もあるが、いたずらに嵩むページを避ける配慮と受け止めたい)。希羅両言語、古典文学、比較文学などを学ぶ者にとって実に実に貴重な訳業だ。ゲッリウスの原典はウェブ上にあるので、お気に入りの一章を選んで原文にあたることがこれで容易になった。第二分冊の刊行が待たれる。

 

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