これも18世紀の音楽における狂気の表現について論じるための取って置きのネタの一つだったはずなのだが、酔っぱらってきたついでに書いちゃうよー。
フーコーは『狂気の歴史』の中核をなす「妄想の超越性」の章を、ラシーヌ『アンドロマック』におけるオレストの発狂の分析で締めくくっている。ラシーヌは復讐の女神につきまとわれるオレストのエピソードをギリシア悲劇からいただいたわけだが、アリオストもオルランドの狂気を描く際、やはりオレストのエピソードを念頭に置いている。これは『狂えるオルランド』第二十一歌五十七節に「復讐の女神につきまとわれたオレステのごとくになって」とあることからわかる(オルランドの発狂場面は第二十三歌)。
なぜこの点に注目するのかと言えば、「物狂い」についての古代から中世に至る見方の代表例であるオレストの狂気が、ルネサンス期のアリオストによって参照され、この作家を経由して18世紀には、狂気についての音楽的表現が誕生することがわかるからである。この系譜にフーコーが目をつけなかったのはまったく不思議だ。