バイアルド(馬)

アリオスト『狂えるオルランド』の叙述は、語り手が大司教テュルパン(シャルル・マーニュの時代にその『年代記』を書いたとされる人物)の記述をふまえているという設定の下、現在の主君(枢機卿イポリット・デステ)に向けて、シャルル・マーニュ配下の騎士たちとその時代のさまざまな人物たちをめぐるできごとを、必ずしも時系列には従わずに語るという構成になっている。

具体的な構成要素は以下の通りである。① シャルル・マーニュ軍対イスラム軍の戦争の時代に生じた、さまざまなできごとの報告。② ①よりも前に起こったできごとの再現(本書の前編にあたるボイアルド『恋するオルランド』のエピソードに基づく)。③ ①を語り手の現在時に結びつける記述(当時のイタリアに生じた戦乱への言及、イタリア・ルネサンスの芸術家たちの紹介、エステ家の系図および同家の当主たちに対する称賛)。④ ①に関連する比喩的・寓意的な詩句(たとえば、かつてはあれほど愛したリナルドを、いまでは蛇蝎のごとく忌み嫌うアンジェリカのエピソードの合間には、「非道な愛よ、なにゆえお前はわれらの望みに/滅多には応じないのか。不実な愛よ、」という詩行が挟まれる(第2歌冒頭)。各歌はほとんどこうした比喩的・寓意的な詩句によって導入され、またこうした詩句の中には、ホメロスやウェルギリウスらの言葉が引用されることもある)。⑤ イポリット・デステに向けた語り手のコメント。⑥ 大司教テュルパンの『年代記』をふまえたと称する語り手のコメント(出典は曖昧であり、‟テュルパンがこのように述べている” というその内容自体、アリオストの創作の可能性がある)や、本書に対する同時代からの批判への応答(第42歌20-21。1516年に本書の初版、1521年にその改訂版が出るが、この間に海賊版も出回るほどで、当時としては珍しく幅広い人気を集める一方、時には批判も受けた)。

このように多層的な叙述がなされる上に、上記の①の構成自体がかなり複雑である。プロットは大きく分けて、主たる物語・副次的な物語・脱線の三つからなる。しかし主たる物語といっても、そこでは多数の遍歴騎士またはイスラムの王らが、旅の途上未知の人物なり珍事なりに遭遇するので、叙述の進行とともに物語はどんどん分岐していき、かつ分岐したできごとの系列が、その後は少しの間を置き並行して語られる。それだけでなく、主たる物語のいくつかのエピソードは魔法使いや聖人によって支配されるので、彼らの言葉や彼らが人間たちに見せる幻視などを通じて、叙述は時として物語中の現在時をはるかに超え、未来のできごとに及ぶ。このような叙述のタペストリーこそ、『狂えるオルランド』が与えてくれる楽しみの一つである。

さてここで、本書の「主たる物語」を支える縦糸の一つに注目してみよう。主人公の一人リナルドの愛馬、バイアルドの遍歴についてである。バイアルドは『狂えるオルランド』第1歌72で前触れもなく登場し、アンジェリカにじゃれつくが、これは前編『恋するオルランド』で歌われた物語の経緯をふまえたものだ。『狂えるオルランド』の物語同様、バイアルドは前編でもいろいろな騎士と王の間を転々とする。あまりに賢く強い馬なので、だれもが彼を手中にしたがるからである。ところがバイアルドは、いつも主人リナルドを慕っており、これがなかなか感動的なのだ。

『恋するオルランド』には邦訳がないが、トマス・ブルフィンチ『シャルルマーニュ伝説』(講談社学術文庫)にそのあらすじが載っている。この本を参照しながら、バイアルドの前史を拾ってみよう。

リナルドが彼の愛馬と出会うのは、中世の多くの伝説に登場するアルデンヌの森においてである(この魔法の森には、大魔法使いマーリンの二つの泉がある――愛の泉と憎しみの泉である。かつてトリスタンとイズーはともに愛の泉から水を飲んだため愛し合うことになった。『恋するオルランド』の物語では、まず初めにアンジェリカとリナルドが別々の泉から水を飲むので、前者は後者を愛し、後者は前者を嫌って逃げ回る事態となる(図1)。ところがしばらく後で、今度は二人がそれぞれ以前とは反対の泉の水を飲み、立場が逆転する)。バイアルドに戻ろう。この馬は伝説の騎士、ゴールのアマディスのものだったが、騎士の死後、ある魔法使いの魔法にかかってアルデンヌの森に棲んでいた。鮮やかな鹿毛で、額に銀色の星を戴き、優美な首、ほっそりとした胴、たくましい脚は見惚れるほどだが、常人の力ではとても制御できない荒々しさである。しかしリナルドはその怪力で荒馬をみごと地面に投げ倒し、バイアルドはリナルドを新たな主人として認める。ところが『オルランド』二編を通じて、この主従はしばしば別々の行程を歩むことになる(図2)。

〈図1〉

 

〈図2〉

(つづく)

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