音律をつくる

「五十三音」の冒頭にある音律の話、あれだけではよくわからないというかたがおられるかもしれない。ちょっと補足しておこう。スマホやタブレットには無料のキーボード・アプリがあって、鍵盤をタッチすると音が出るので、そういうものを手元に置いて読まれると、話が早い。

音の高さは弦を弾くイメージで捉えるとわかりやすくなる。ある長さの弦を弾いて出る音と、その半分の長さにした弦を弾いて出る音を比べると、前者より後者のほうがオクターブ高くなる。音は波だから、ぶんぶんという感じに振動しながら空気を伝わって鼓膜を振るわせる。長い弦を弾いたときに出るぼわーんぼわーんと、短いほうを弾いたときのびんびんとでは、振動する速さが違う。ゆったりしたぼわーんぼわーんが低い音、速いびんびんが高い音である。

この関係を一般化するために、一定の時間の間に何回ぶんぶんいうか、という単位を作る。この単位時間あたりぶんぶんを周波数とか振動数という。高い音ほど振動数が大きいので、直感的に「高い、大きい」となってわかりやすい。

基本の音の振動数を1として、あとはみんなこれとの比で計算する。以下ぜんぶルールはこれだけだ。1オクターブ高い音は2(振動数比が2倍)である。五度(ドに対するソ。半音7個分上の音)は2分の3になる。

五度という名前は習慣でそう呼んでいるだけなので、なんで五だ、とか言って怒らないでほしい(同じ高さの音を一度と名づけた結果こうなった)。太郎とか次郎とかいうのと同じである。基準の音に対して1.5倍速く振動する音を昔の人が五度と名づけた。こう考えればすっきりするだろう。

さてここからが本題である。1に対して振動数比が2分の3の音を純正の完全五度と呼ぶ。これが音程の基本である。この先はキーボードの絵でも見ながら読んでいただきたい。ただし現代のキーボードを打鍵しても、これから書く順序で決めた音は出ない。理由は後で述べる。

とりあえずCから始めよう。これを1とする。Gが五度である。本来ここが3/2になるはずのキーだ。さて今度はそのGからいったん1オクターブ下に下がってみる(たんに2オクターブの間で作戦を敢行するためだ。1オクターブ下の音は以下小文字表記)。振動数比はオクターブ上がると2、下がれば1/2 だから、gは3/2に1/2 をかけあわせたものになる(3/4)。続いてキーボード上でg に対する五度を探す。g から半音7個上はDである。3/4に対して3/2 だからかけあわせて9/8。これをずーーーっと繰り返して得られる音律をピタゴラス音律というのである。

おわかりのことと思うが、3と2は互いに素だから、3/2どうしをかけあわせてもかけあわせても永遠に分子と分母の割り切れない関係が続く(分子は3の累乗、分母は2の累乗)。しかし、これでは困ったことになる。

なぜかと言うと、さっきの五度五度作戦を根気よく続けると、キーボード上では
「C→G→g→D→A→a→E→B→b→F#→f#→C#→G#→g#→D#→A#→a#→F→CC→C」
となってあら不思議、最初のCに戻ってくるからだ(便宜上2オクターブの範囲を超えないように循環を繰り返しているので、五度を選んでオクターブ下がる時と、そのオクターブに留まる時があるが、循環の関係そのものには影響しない。なおCCはCのオクターブ上の音)。いまの流れ図を確認していただければわかる通り、大文字表記の音名はオクターブ上の12音すべてである。ピタゴラス作戦は、このように五度を積み重ねてはオクターブ下げるという単純な方法によって、オクターブを構成する12の音の高さを決めるというものだ。しかし、出発したC(つまり振動数1)と、作戦を一巡して出てきたCとは違う音になっている。なぜなら3/2を何度かけあわせようが、分母と分子はぜったい割り切れないからだ。計算してみよう。もしいちいちオクターブ下げるという操作をしなかったとすれば、ピタゴラスの一巡によって出てくる高いCは3/2の12乗である(=3の12乗/2の12乗)。流れ図を見ると、オクターブ下げる操作は7回行われている(小文字が出てくる箇所と最後のCC→C)。オクターブ下げるたびに振動数は1/2 ずつになるから、分母の2をさらに7乗する。つまり3の12乗/2の19乗。電卓で計算すると531441/524288(振動数比1.01364326)。出発した時のCと五度の積み重ねを経て戻ってきたCとはかなり異なる音になることがわかる。じっさいに耳で聞き比べてみても、全然違う音である。

これでご理解いただけた通り、純正な五度(3/2)を繰り返すピタゴラス作戦は、五度の響きについてはたしかに純正で美しいが、オクターブに含まれるはずの12の半音をオクターブの中にきっちり配置させることができない。

どうしてこんなことになるのかと言えば、もともと人間は五度とか四度とかの響きを歌って楽しんでいただけで、オクターブとか半音といった概念が後付けだからである。音楽が少し発展すると、ドレミファソラシドみたいな音階が作られるようになる。これがオクターブの概念の始まりで、よく聞き込むうちに、今日のキーボード上に配列されているような半音の並びが「だいたい」構想されるようになる。しかしこれはあくまで「だいたい」であって、厳密にどういう振動数比の音をそれぞれのキーに割り当てるかという話ではなかった(そもそもピタゴラスの時代にキーボード楽器はなかった)。純正五度に基礎づけられる理論的な音律が、1オクターブ=「だいたい」12の半音、という習慣とかみあうはずはない。

じゃあどうするんだということだが、1オクターブ12半音という約束は音階に従って歌ったり作曲したりする上で捨てられないので、キーボードに割り当てる音のほうを少しいじることにした。「半音」という名前はそのままに、個々の音の高さを少しずつ上げ下げしたのである。先ほど見たように、五度の積み重ねを繰り返すと最初の音から外れるが、外れた分をうるう年を調整するようにどこかに組み込んでやるのだ。組み込み方はさまざまで、これはもう好みと利便性の問題としか言いようがない。そういう歴史上さまざまに行われてきた音程の配分を音律と呼ぶわけである。

近代の12平均律はと言えば、これは何も考えていない音律である。一度(同じ高さの音)とオクターブ以外、一つとして純正の振動数比を持つ音がないのだから。これは本来1オクターブが12の音からなるわけではないにもかかわらず、強引にそうしようとしたことの結果である。

さてピタゴラス作戦であるが、おもしろいことに、五度の積み重ねを何度も繰り返していくと、オクターブに近似するところが時々出てくる。53回目の五度がおよそ31オクターブの高さ、という理論的な発見は古代の中国でなされたというから驚きだ。これは何を含意するのかというと、このように純正な五度を53回繰り返して得られた音はすでに見た通り一つとして同じではない(分子は3の累乗、分母は2の累乗だから)ので、音高さえ下げてやれば、オクターブを五度の隔たりが「純正」である、53音のクラスターでおおよそ構成できるということだ。すごい。しかも、オクターブを「均等に」53分割して得られた各ステップは、「純正」な五度の隔たりを持つ53音のステップに近似している! このように、12平均律と53平均律とは、オクターブを均等に分割するという操作についてだけは共通でも、純正な五度を含むか含まないか、どの程度含むかという点でまるっきり異なる。

「五十三音」というふざけた小説は、小説としてはふざけていても、いま述べたような音律のおもしろさを紹介するという点については大まじめなのだ。

 

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