フライブルク・バロック・オーケストラ、2016年来日公演(10月23日三鷹)

三鷹でフライブルク・バロック・オーケストラの演奏を聴いた。2012年の初来日公演(同じく三鷹、プログラムはJ・S・バッハの管弦楽組曲全曲)以来である。久しぶりのライブを心待ちにしていた理由の一つは、今回2人の音楽監督(ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ氏とペトラ・ミュレヤンス氏)が顔を揃えることにあった。ミュレヤンス氏がFBOとともに来日されるのは今回が初めてである。

フライブルク・バロック・オーケストラはプログラムに応じて編成を変えるだけでなく、2人のうちどちらかの音楽監督が指揮またはコンサート・マスター/ミストレスを担当する。録音も同じで、一方がトップに立つ場合、他方はオーケストラに参加しないことさえある。だから2人が揃って演奏する際、どんなふうに役割分担するのかに興味があった。

今日23日のプログラムは次の通り。

前半:ヴィヴァルディ『オリンピアーデ RV725』序曲、J・S・バッハ『ヴァイオリン協奏曲イ短調 BWV1041』、J・S・バッハ『2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043』。

後半:ヴィヴァルディ『弦楽のための協奏曲イ長調 RV158』、J・S・バッハ『ヴァイオリン協奏曲ホ長調 BWV1042』、J・S・バッハ『3つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調 BWV1064R』。

編成は第1ヴァイオリン5、第2ヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ2、コントラバス1、チェンバロ1の総勢15人。

フォン・デア・ゴルツもミュレヤンスも第1ヴァイオリン側にいて、プログラムの最初に置かれたヴィヴァルディのシンフォニアまたはソロなしの協奏曲では前者がいちおうリードする。だがおもしろいことに、この場合でも2人は時々顔を見あわせたり互いの音を聴きあったりして「双頭」指揮のようになる――時には2人が別々に第1ヴァイオリンなりヴィオラなりのほうを振り返ってアンサンブルを確認することさえある。とはいえこのオーケストラは全員がソリスト級の腕前なので、そういうときでもメンバー相互の友好的な意思疎通程度だ。

ヴァイオリン独奏用のコンチェルトでは、2人の音楽監督のうち一方がソロを担当し、他方がオーケストラをリードする。プログラムの前後半ともヴィヴァルディのソロなしの作品から始まるため、双頭コンサート・マスター/ミストレスが並んで第1ヴァイオリン・パートを演奏した後、プログラムがバッハに進むと一方が前に出てソロを弾くことになる。前半のイ短調作品ではミュレヤンス、後半のホ長調作品ではフォン・デア・ゴルツが独奏した。

ミュレヤンスは繊細で節度ある響き、フォン・デア・ゴルツは力強く鮮やかな響きであり、2人の音色と音量はまったく異なるため、ヴィヴァルディからJ・S・バッハに移行するたびに、ソロだけでなくオーケストラのニュアンスまで変わる。それでいてアンサンブルは完璧だから、最高度の演奏によって曲ごとに異なる響きを聴くことができる。

素晴らしかったのは、2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調におけるフォン・デア・ゴルツとミュレヤンスのソロの応答とオーケストラのフォローである。この作品の冒頭の主題は第2ヴァイオリン(ソロとオーケストラ)から始まり、すぐに第1ヴァイオリン(ソロとオーケストラ)に受け渡される。ここでのミュレヤンスは作品全体を支える確固たる音型を奏でるが、音楽の進行とともにソロ2人が対話を始めると、時に互いに顔を見あわせながら響きを確かめあい、2人で一つの音楽を作り上げる。オーケストラもそうなると一つの楽器になってしまう。フォン・デア・ゴルツとミュレヤンスとは異なる音楽性を持ちながら、おそらくこのオーケストラでしかできないある音楽的な理念にもとづいて結ばれているのであろうし、いっしょに演奏するときにはそういう理念に従って心から協調しているのだろうと感じた。

プログラム最後のJ・S・バッハ、3つのヴァイオリンのための協奏曲(第1ソロ・ヴァイオリン=ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ、第2ソロ・ヴァイオリン=ベアトリクス・ヒュルゼマン、第3ソロ・ヴァイオリン=ペトラ・ミュレヤンス)では、ソリストの素晴らしさは言わずもがな、驚くべきは双頭コンサート・マスター/ミストレスと第2ヴァイオリン首席奏者を除いたそれぞれ3人ずつの第1および第2ヴァイオリン・パートの美しい響きである(この曲ではソロ3、第1ヴァイオリン3、第2ヴァイオリン3という絶妙の配分になる)。オーケストラの各パートを含めてそれぞれがソロに他ならないという意味で、J・S・バッハのコンチェルトの厳密な構成を知らしめる名演奏だった。

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