アカルイミイラトリガミイラニナル

ミイラという日本語の起源がスペイン、ポルトガル、イタリア諸語の mirra (没薬)に由来するという指摘は南方熊楠の「ミイラについて」(1917)にある。古来ミイラが薬として珍重されたことと、ミイラを作るために使用された没薬とが混同されたらしい。

ミイラを薬に用いるという発想は不老不死への憧れからくるものと推測される。ピラミッドの盗掘でミイラが持ち出されるのはあくまで財宝の付属品としてだろうが、伝統的にはミイラそのものを取ることが目的だった時代の方が長いのだろう。

ミイラの粉末は漢方薬としても用いられたということなので、中国のミイラ取りはおそらく西域の乾燥地帯を目指し、自然乾燥してできたミイラを探していたのではないか。風葬された亡骸は鳥獣の餌になってしまうので、乾燥地帯で保存状態のよい亡骸を見つけるのはたやすいことではなかったろう。ただし勝手に墓を盗掘していてはいずれ商売に支障を生じるのは目に見えている。また西域と大都市を行き来するにはリスクに見合う収益が期待されなければならない。そう考えるとミイラ取りというのはミイラを掘り出す人というよりも西域の民と交易する商人で、もろもろの商いの品の中にときどき珍しいミイラが含まれていた、ということだろう。ひたすらミイラだけを探し、探し出した獲物をらくだに背負わせて帰路に就くというのはちょっと荒涼としすぎているように思う。

たとえ不老不死とミイラとが連想の上で結びついたとしても、それを薬にして飲ませようとか、売り物になるから交易の対象にしようという考えはいろいろな飛躍を間に置いているようである。それだけでなくミイラの取引には売り手にとって一つの困難がある。漢方薬の原料としてのミイラには、香辛料や塗料の原料等のように成分の価値を示す味とか香りとか色といった表徴がない。よってそれが上物であることを証明するには「一体」丸ごとの保存が求められる。たとえばあらかじめ粉末にしたものを壺に詰めて移送すると、それが本当に人間のミイラであったかどうかもはや判定できなくなってしまうのである。一体のミイラを崩壊の危険から保護しつつ砂漠を越えて輸送する手間というのは宝玉や美術品のそれに匹敵する。ちょっと興味をそそる光景でもある。

ミイラ取りが遠隔地交易商人の異名であるとしても、いやそうだからこそ、自らミイラになるリスクを至るところに背負っていたということなのであろう。

ミイラ取りがミイラになるという諺の起源については熊楠にもわからぬと先のエッセーにある。たぶんこんなところかと彼が引用するのは1502-1510年ごろ広く東方に旅したローマ人ルドヴィコ・バルテマの「紀行(イチネラリオ)」の一節だ。1503年メジナよりメッカに至った砂漠の様子を報告している。「ここで不幸にして南に行く者、北に向かいて吹く風に遭えば、たちまち砂起こって道を没し、わずかに十歩を隔てて人を見るあたわず。故に土人ここを過ぐるに身を木籠に入れて駱駝にのせ、案内者羅針盤と方向図を持ちてこれを導くこと、海上を航するに異ならず。ここを旅する者また多く渇して死し、たまたま良水を見中(あ)つれば飲み過ぎて死するも多し。この砂漠中にミモアあり、これこの砂中に没して日熱で乾ける人の肉で、砂乾けるゆえ人身腐らず、この乾肉は医薬の効ありとて貴ばる。また別に一層貴重なるミモアあり、諸帝王の身を乾腊したもので、永年保存されて腐らぬ」。

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