加藤泰『ざ・鬼太鼓座』

Akatukiyamiさん(当ブログ運営者のわたしが常々日本映画に関して貴重な指導を頂戴している友人)から、加藤泰『ざ・鬼太鼓座』についての素晴らしい論考をお寄せいただいた(もともと複数のメールであったものを、わたしが独占するのはもったいないと思い、無理を言って一文にまとめていただいた)。『ざ・鬼太鼓座』の美質が鋭く、簡潔に明らかにされていると思う。多くのかたにお読みいただければ幸いである。Akatukiyamiさんにこの場を借りて厚く御礼申し上げます。(荒井正樹)

加藤泰『ざ・鬼太鼓座』           Akatukiyami

 

渋谷のユーロスペースにて、1月21日から加藤泰の遺作『ざ・鬼太鼓座』(1981年)のデジタルリマスター版が公開されている。自分は公開第一週目に観、またそのすぐ四日後に再見して、つくづく感じ入ってしまった。そこで本作品の魅力について、ささやかながら言葉を尽くしてみたい。

『ざ・鬼太鼓座』はまず、フレーム内フレームというとちょっと違うけれども、カメラのアングルも含めて、鬼太鼓座のパフォーマンスをどう「切り取る」のか、その舞台づくりがとても思考と感性とを触発するというか、刺激的だ。
それは日本の四季を映し取る、という見かけとは別に、画面にどうダイナミズムを呼び込むか、それをパフォーマンスとどうシンクロさせるかという点で、非常に成功している。

それこそ全編にわたって指摘できるだろうけれども、「櫓のお七」(本当に素晴らしい!)を承けての「桜」の美しい流れ(うなじのアップ、そして顎にかけられた笠の紅い紐)、女たちの「佐渡おけさ」を踊る埠頭と覚しき場所が、手前側がトンネルというかアーチ状になっていて、『緋牡丹博徒』シリーズでお竜さんと高倉健や菅原文太が出会う橋の下を想起させるような「絶好な」ロケとなっているところ、石井眞木の彼らのために作曲した「現代曲」を演奏する場が、曲が変転してゆくに応じてカメラアングルや装置が変わってゆく面白さ、「津軽じょんがら節」でのラスト、戸外の観客を映してゆく手前に焚き火があり、その陽炎の向こうの路地に踊り手の女の姿が映り、次の路地のショットでは無人となっている演出、『炎のごとく』のラストの再現かと戦慄させられる点。
言い挙げてゆけば全てのショットについて、その加藤泰印の、フィクション-ドキュメンタリーを越えた「映画」の、その凄さをみることができるはずだ。

『ざ・鬼太鼓座』は、また素晴らしい「青春映画」でもある。やっと自分の撮りたい作品ができた、といったことを加藤泰が口にしたとも言われているけれども、本作が「遺作」であるということに本当に驚かされる。

冒頭の船着き場から始まり、画面の奥から手前へ、溢れ出てくるエネルギーのイメージが全編で繰り返される。その若さの漲りにも拘わらず、映画には深い陰りの気配もあって、それはロケ地が主として「裏」日本であるからかもしれないけれども、一筋縄ではゆかぬ加藤泰の練達さだからこその「青春映画」の一つの達成だろう。

「櫓のお七」の垂直性には、加藤泰を徴づける(女性の)落下のモチーフが変奏されている。大太鼓を打つ筋骨隆々たる男たちに生の横溢を見るとすると、女たちには死の幽暗さが纏いついているようである。(そもそも演奏や舞踊においては、死との交渉によって初めて生の力が賦活される、ということなのだろうか。そして「青春」とは死を視つつも、死者を知らないという抽象のものなのかもしれず。)

実は自分は冒頭の、ダウンタウン・ブギウギ・バンドとのジョイントコンサートのシーン、判りやすいドキュメントな場面も好きだったりする。会場で激しく踊る着物姿の女二人の「ハレ」な感じも、また捨てがたいのだ。(中盤、そのうちの一人が近所の子どもに向かって、一緒に踊ってみる? と言いつつ、その冒頭のライブの振り付けを踊ってみせるシーンも素晴らしく、そんな時間軸が前後してくる構成は見事というより他ない。)

もう一点。目および視線の不在とでもいったような感触が、個人的には強く残ったことを挙げておきたい。
太鼓をひたすらに打ち、着物姿で踊りを舞い、彼ら彼女らの目は何を視ているのか、どこへ向けられているのか、という不思議さが、顔の正面のアップであれ横顔であれ、顔が大きく映るたびに思い起こされるということ。
仮面のモチーフや、それに付随する鏡や万華鏡のショットが、或はそこへ照応しているだろうか。ともあれ、観客の静かな熱い眼差しとは異なり、鬼太鼓座の彼らはひたすら「虚空」を視ているのではないか。ここに(も)『炎のごとく』の盲目のモチーフとの連関をみてみたくなるなど。

『ざ・鬼太鼓座』、言及しなかった演目についても、その演奏や舞踊は言うに及ばず、加藤泰の演出や編集、美術や録音の仕事に至るまで、本当に素晴らしく充実している。
今回のユーロスペースでのデジタルリマスター版での上映を、見逃すという手は無いので、一人でも多くの方が渋谷円山町へ馳せ参ぜられますように。
ユーロスペースでは、2月3日(金)まで、午前10時からの一日一回の上映。公開第三週目となる4日以降については、スケジュール未定とのこと。直接劇場へお問い合わせください。

 

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