『エレナ出口 Exit Elena』(Nathan Silver, 2012)

Nathan Silver 監督『エレナ出口 Exit Elena』(2012)を見る。スタンダード、カラー。3部構成で、上映時間は72分。

看護師の資格を取得したばかりのエレナは、ある中流家庭(アッカーマン家)の老婦人を介護する仕事に就く。家族構成は、高齢のため身体が不自由なロレンス、その息子ジム、ジムの妻シンディの3人。シンディがエレナに示していた条件は住み込みで、彼女は大きなスーツケースと絵画を抱えてやってきた(注)のに、夕食の席でジムは住み込みの話など聞いていなかったと言い出し、夫婦は口論を始める。

エレナは黙って食卓に向かい、言い争っている2人の間で居心地悪そうにイチゴをかじっている。ロレンス本人はエレナが気に入ったようで、ジムも結局シンディの説得を受け入れる。エレナにあてがわれたのは2階の小ぶりな部屋。そこへ引き上げてもくつろげずにいると、シンディがドアの向こうから、あらためて階下で飲み物でもどうかと声をかける。断るエレナにシンディは、「ドアをしっかり閉めてしまうと火事のときに危険だから」、緩く閉めておくように言う。

エレナを演じるキア・デイヴィスは大きな目が印象的な女優。第1日の以上の場面で、緊張気味の彼女の目は、終始警戒するように見開かれている。彼女の居心地の悪そうなまなざしと表情と身振りは、第2日以降もほとんど変わらない。会社役員らしいジムは自宅に事務所を構えているため日中も在宅しており、アッカーマン夫妻は何かにつけて言い争う。またシンディはエレナを家族の一員にしようといちいち近所づきあいやお茶に誘う。ロレンスの介護という仕事以外の日常的な義務が、エレナを拘束する。

彼女が近隣のカフェ店員と外食しようとすれば、シンディはだれとどこで会って何をするつもりかと、事細かに尋ねる。エレナは事務的に短く返答するが、さすがに苛立ちを隠さない。シンディが通うダンススクールへの参加を強要された時には、レッスンのばかげた様子にエレナもついに切れ、フロアを出てしまう。その彼女を追って来て、「あなたが外で待っているとわたしダンスを楽しめないわ」と当たり前のように言うシンディと、半泣きで煙草を吸うエレナ2人の顔を、カメラはアップで捉える。

本作のカメラはしばしば動き、顔のアップも多用される。しかしそれらは人物の表情やしぐさのわずかな変化を捉えるためであり、カメラの動きが饒舌に何かを付け加えることはない。またシンディの押しつけがましい一連の行動も、それらを前にいたたまれなくなるエレナの表情も誇張されることはない。これらはあくまでできごとを特徴づけるものとして捉えられ、そういう特徴をよりよく把握するためにカメラがパンしたり、クロースアップが使われたりする。この作品がおもしろい理由のひとつは、登場人物の表情、身振り、発話などの素材をきまじめなほどていねいに追いかけるカメラにある。

編集も入念に行われている。各エピソードは日付けのカットで区切られるだけでなく、個々の場面はショットやセリフなどによる説明を飛ばして、手短に繋がれていく。人物の表情の変化を追う前述のパンも、手堅い編集技術のおかげでまったく間延びしない。

第2話にはいくつかの重要なエピソードがある。ロレンスの入院、その間もアッカーマン家に滞在してほしいというエレナへのシンディの申し入れ、介護の仕事から解放された女性2人がワインを飲みながら少しだけ打ち解ける場面(ここでエレナが歌うユーゴスラビア語の歌を通して、彼女の出自が初めて示される)、そしてアッカーマン夫妻の息子ネイサン(監督自身が演じている)の登場。彼には知的障害があり、未知の人との会話において自分の行動を制御するのが困難である。少しずつこの家の生活になじんでいたエレナのまなざしに、第1日に見られたような緊張と不安と困惑が戻ってくる。ある夜アッカーマン夫妻は、エレナとネイサンを2人だけ居間に残して早々に寝室に引き上げてしまう。すると突然キスを迫るネイサン。彼を押しのけ、不快感をあらわにするエレナを追うカメラの動きは、ここでも正確であり、ある種の典型的な状況に見られる典型的な表情を捉えた映像とは別物である。この場面でエレナは、ネイサンと自分を2人きりにして引き上げてしまったアッカーマン夫妻の「配慮」に困惑しており、一方ではネイサンの対人行動の不調にも気を遣っている。それでももちろんいきなりキスを迫られれば驚きもするし、不快にもなる。このシークエンスを見る多くの観客もまた困惑せざるを得ないだろう。屈託のない観客はげらげら笑い出すかもしれないし、エレナ同様の不審と居心地の悪さを感じて不快になる人もいるかもしれない。わたし自身はこういう状況を作り出す脚本・演出・撮影に少し驚いた。第2話までについて言えば、本作はコメディと呼ばれてかまわないだろう。それにしてもそう手放しでは笑えないコメディである。

第2話と第3話は、エレナに解雇を申し渡すシンディのオフの台詞と、スーツケースを抱えて街へ出たエレナの姿によってつながれている。シンディは表向きエレナを家に置いておく経済的な余裕がないと言うが、同時にあの夜(ネイサンが彼女にキスを迫った夜のことである)、2人の間に何かがあったのではないかと仄めかす。その後映像は、行き場を失って職も見つからず、ホテル暮らしを余儀なくされるエレナの姿を捉える。

しばらく経ったある日、アッカーマン家に電話したエレナを、シンディはジムのバースデイ・パーティに招く。エレナはスーツケースをアッカーマン家の庭に隠して、パーティに参加する。そこにはやはりネイサンもいて、相変わらず場にふさわしい言動ができないが、エレナはもう気に留めるそぶりを見せない。その夜エレナはアッカーマン家に泊まる。観客が目にするのは同じベッドに並んで寝ているネイサンとエレナの映像である。ネイサンは寝汗をかいて眠りこけているが、エレナは目覚めている。シンディの足音が近づくのを聞いて、エレナは突然ネイサンの腕を自分の首に回していっしょに寝ているふりをする。2人の姿を見たシンディは、灯りを消してそっと部屋を出て行く。ネイサンの腕を外し、彼の汗を気持ち悪そうに拭うエレナ。映像はこの後、眠りに就くエレナの表情をいくつかのショットに分割して捉える。

その翌日、エレナはパジャマにショールを巻き、アッカーマン家の飼い猫を抱いて立ち去る。

この第3話を通じて、アッカーマン家とエレナの関係(とりわけシンディとエレナのそれ)はいっそう捉えがたいものになる。エレナにとって、もしかしたらアッカーマン家は最初から寄生のための格好の場所だったのかもしれないし、シンディから見たエレナはロレンスの介護者というよりネイサンのパートナー候補だったのかもしれない。またエレナはネイサンと同衾した夜、シンディの意志に屈したように見せかけて寄生を再開しようとしたのかもしれないし、たんにアッカーマン家の人々を弄んだだけかもしれない。いずれにせよアッカーマン家の人たちとエレナとの間にあったのは、前者が後者を困惑させるという作用のみならず、後者が前者の秩序を攪乱するという作用でもあったことが明らかになる。

非常に精緻に作られた作品であり、コメディとしての完成度も高いのに、観客から笑うタイミングを取り上げることに情熱が注がれており、映画にある種の緊張、屈託、異常、脱臼を求める人にはもってこいの映画である。

注 解雇されてアッカーマン家を出たエレナはもう絵画らしきものを携えていない。第1日の夜、疲れて自室で眠る彼女のショットの直前に、その場所が指定されない絵画(小鳥と修道士を描いたもの)のショットが短く映され、同じ絵は第3話でもう一度インサートされる。けっして何かを暗示するようなカットではないが、記憶に残る。ただし、この修道士の絵とエレナが第1日に携えていた絵との関係は不明。なお、エレナに与えられていたアッカーマン家の部屋が、かつてネイサンのものだったことは、はじめ箪笥(でなければコーナーテーブル)の上に置かれていて、エレナが気に入らずに机の引き出しにしまった2枚の写真への言及(第2話、エレナとシンディがワインを飲む箇所での会話)からわかる。

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