祇園の姉妹

一貫して身体、身体、身体という映画である。なぜ小津をしてこの映画は自分には撮れないと言わせたのか。いまのわれわれにはその核心をなす映像を見ることができないのかもしれない(フィルムが失われているため)。しかし芸者がたんに媚を売るのでなく、キモノを脱ぎ捨て、男にいたぶられ、ギブスを嵌められた上にミイラよろしくベッドに運び込まれ、ついにはクレイン撮影のどアップの被写体になる(ラストシーン)という着想は、当時の日本映画はおろかハリウッドにもなかった。これほどエロい映画はない。

カテゴリー: 溝口健二   パーマリンク

コメントは受け付けていません。