被災者、避難者を支えよう

東日本大震災と福島第一原発事故の結果、今も15万人の被災者が避難生活を強いられているにもかかわらず、日本国民の多くは何事もなかったかのように日常を送っている。そうした日常の継続に疑問の目を向けている者も少なくはないが、その理由は現在を非常時として認識することにではなく、近い将来自分の足下を襲うだろう次の大震災に対する不安にある。そしてそれは予想外に大規模な地震と津波がじっさいに起こり、各地でM4クラスの地震が続いている状況に対するというより、この国の権力がいざという時に国民を護らないどころか、もっとも弱い立場にある国民を真っ先に犠牲にするという事実に対する不安であろう。

この国の隅々にまで行きわたった利権構造に関わらずに生活する者は皆無といってよく、その上マスメディアが率先して改革に必要な論点を曖昧にしているため、多くの国民は状況に対する発言をはばかり、結果曖昧な不安は亢進する。不安に目をつぶって日常らしさを装う心理を、大衆的な自己保存欲求と断じるべきではない。被災を免れた多数者の曖昧な態度は、この国の利権構造が投影されたものだからである。

今回の震災で被災した者とそうでない者との間の隔たりは、たんに当事者であるかどうかの違いではなく、震災後の生活感覚の相違にある。今も避難生活を続けている者の目には、何事もなかったかのように日常を送る人々の姿は異界の存在と映るだろう。しかし国民の間のこの分断を作り出しているのは、政府――避難生活を送っている人々に対する支援を政策のトップに据えて実行しない政府と、それを批判しないメディアである。もちろん問題は現政権にのみあるわけではなく、維新の会に代表される火事場泥棒的な在野の政治勢力と、政権の如何に関わらず既得権益の保存だけを考える官僚組織にもある。しかしこうした国民分断の原因を効果的に抑制し得ない現政権こそ、もっとも大きな責任を負わねばならない。

どんな責任の取り方が妥当なのか。やるべき第一義に立ち返ること、すなわち避難者の現在と将来を支える政策を実行することである。内外に課題が山積していると言っても、これだけ多くの国民が依然として苦難に直面している現状を前に、その対策を第一義にしない理由はない。国民の多数に鬱積している不安と、国民を分断するきわめて危険な障壁を除く根本的な方策はここにしかなく、現状を非常時とみなすまともな政府なら必ずそこから手をつけるはずだ。

原発やTPPの問題、そして意味不明な維新の会からの政策“提言”等々は、非常事態から国民の目を逸らし、いま私たちが直面している問題でなく、仮想の未来と実体のない不安に人を誘導するイシューである。反対に、避難者どうし、また避難者と非被災者を分断せず、国民の間に結びつきを維持し、作り出す政策こそがもっとも現実的だ。仮に15万人などものの数ではないといった官僚的思考に捉われている政策担当者がいるとすれば、そういう人間は被災者とそうでない者の間に生まれつつある溝が、非正規雇用者と正社員、あるいは若年低所得層と高齢富裕層との間の格差と地続きであることを見落としている。

政府・メディアの現在の体質と国民の無力感は、戦時の日本を想像させる。しかしこのぞっとする現状は覆すことができる。被災者、避難者を支えよう。私たちがこれを実行しなかった場合の悲惨は、次の大震災を待たずに、この社会の日常が明らかにすることになるだろう。

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