清順の戦争三部作

「肉体の門」「俺たちの血が許さない」「春婦傳」を制作時期とテーマにしたがって戦争三部作と呼びたい。これらに共通する点は、前のエッセーで指摘した主人公の破滅的な死に至る生に留まらない。主人公が生きる意志を強く抱き、生への促しが作品展開の主軸になっているにもかかわらず、彼(女)が置かれている状況がそれを許さないことにも注目すべきである。ここで生への促しというのは、主人公(いずれの作品でも男女・兄弟・恋人同士のふたり一組になっている)の一方が死へ傾斜していく場面で必ず他方がそれを制止し、それが作品を次のできごとに向かわせる構成を指している。

「肉体の門」の野川由美子は、宍戸錠に寄せる彼女の激しい愛情が娼婦仲間の掟に違反したため、凄惨なリンチを受ける。宍戸はその野川とともに焼跡のアジトから逃れる約束をするが、米軍から盗んだペニシリンを追うやくざたちの密告によって待ち合わせ場所で撃ち殺される。死の淵から野川を救い出し、新しい生活を始めようとする宍戸の企てはこうして潰える。「俺たちの血が許さない」の兄(小林旭)は家族に黙って暴力団に加わっている。組長の女(松原智恵子)を愛したために彼女を殺され、自分も組織に追われるはめになる。兄をかたぎと信じていた弟(高橋英樹)は、彼のほんとうの姿を知って衝撃を受けつつ、死を決意して組織の罠に落ちに行こうとする兄を必死に制止する。兄弟はともに組織と闘うものの、勝利を目前にして、兄は壮絶な死を遂げる。「春婦傳」の娼婦(野川由美子)は彼女が愛した兵士(川地民夫)とともに中国軍の捕虜となる。その屈辱ゆえに死を選ぼうとする川地を、野川は生へ導こうと説得するが、彼はどうしても中国軍と行動をともにしようとしない。それどころか中国軍が要塞を去った後、その場を占領しにやってきた日本軍部隊に野川を連れて帰還してしまう。だが一度捕虜となった部下を嫌悪した上官は彼を殺そうとする。ふたりは再度日本軍からの脱出を試みるも失敗し、手榴弾で心中を遂げる。

「遍歴の伴侶と離別――清順映画におけるイメージの旅」において、わたしは「悪太郎」と「河内カルメン」という、戦争三部作の前後に撮られたふたつの作品を取り上げ、カップルの一方と死に別れたもう一方が遍歴を続けていく共通の構成を指摘した。またこのふたつの悲恋がハッピーエンドまたは心中という結末にならない理由について次のように述べた。「河内カルメン」の露子も「悪太郎」の東吾も単独行にふさわしい強力なイメージであり、作品の最終カットを越えてその遍歴は先に進む。ゆえに彼らの行程の伴侶は置き去りにされることが望ましいのである。

これに対して戦争三部作の主人公たちは、いずれもカップルで描かれるべく創造されたイメージである。敗戦直後の焼跡、暴力団の殺しのプロたちとの決戦場、日中戦争の最前線という作中の舞台は、どれもイメージの行き止まりであり、こうした場所から主人公が逃れることはほとんど不可能である。それゆえここでのイメージの遍歴は死への道行きになってしまう。もちろん作品が当初からそのような結末を予定していると考える理由はない。三部作それぞれの主人公たちは生への意志を捨ててはいないからである。しかし、遍歴を遮断しようとする行き止まりから、カップルの一方のみが逃れることは許されない。だから「春婦傳」は心中したふたりの亡骸を燃やす炎の映像で終わるのである。他の2作でも残されたカップルの片割れは最終カットを越える力を持っていない。ここに戦争三部作が悲劇である理由がある。

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