増補再編集版がちくま文庫に収められた。「伊藤大輔の初期作品」「若き日の映画体験と僕のシャシン――『みな殺しの霊歌』と『ざ・鬼太鼓座』について」などの講演とエッセイが新たに加えられている。
松竹で撮られた『みな殺しの霊歌』(1968年)は、5人の女性が次々に殺害されていく設定がやや強引に感じられる作品である。「若き日の映画体験と僕のシャシン」によると、本作の企画を持ちかけられた時監督の頭にひらめいたのは『五瓣の椿』(64年に岩下志麻主演で制作された松竹作品)と、伊藤大輔の『続大岡政談 魔像篇』(1930年)だったという。とりわけ伊藤大輔の作品のどこに惹かれたのかを熱っぽく語る加藤泰のことばを通じて、異色の現代劇『みな殺しの霊歌』が、時代劇映画の系譜に位置づけ直されるのはおもしろい。
『ざ・鬼太鼓座』(81年製作、94年公開)に関連して、記録映画を語る監督の言も興味深い。少し意外なことに、加藤泰は若いころ旧ソ連の記録映画とフラハティーのドキュメンタリーに熱中している。これまでわたしはなぜ加藤泰のフィルモグラフィーの最後に『ざ・鬼太鼓座』があるのかよく理解していなかった。『風と女と旅鴉』(58年)での、街道を走る中村錦之助を追いかけるロングショットや、監督のトレードマークのようになっているローアングルの固定ショット(『沓掛時次郎 遊侠一匹』(66年)の10数分に及ぶ中村錦之助の語りはよく知られている)などの手法は、たんに時代劇のために案出されたのではなく、監督の記録映画への関心に由来するものでもある。加藤泰をよく知る観客が聞けば何をいまさらという話だろうが、少なくともわたしには大きな発見だ。監督は『ざ・鬼太鼓座』の制作にあたって、音楽を生かすために同時録音で繰り返し撮影している。おそらくこうした撮影は監督にとっても未知の経験だったのだろう。講演の後の質疑で聴衆のひとりから鋭い指摘を受けて、その場でユーモアたっぷりに自分の撮影の癖を分析するところには、彼の飾り気のなさと自分への厳しさがあらわれていて感銘深い。
先日の新文芸坐での加藤作品上映に際しては若い女性たちの姿が(この映画館での時代劇上映においては珍しく)見られた。本書の増補と文庫化がいまだにスクリーンで見る機会が多いとは言えない加藤泰への、人々の関心と評価に結びつくことを願う。