ディレクターズカットという謎

マイケル・チミノ『天国の門』のデジタル修復版(2012年ヴェネツィア映画祭で、またこのたび東京と大阪で公開された216分版で、2012年にThe Criterion CollectionからリリースされたBlu-rayおよびDVDと同内容)は、クライテリオン版に収録されている監督の言によれば、彼が本来意図した作品にもっとも近い(出典=Wikipedia英語版)。本作がアメリカでの一般公開のために149分に短縮され、しかも作品の中核をなすサークル状の運動を明示した、ハーヴァード大学1870年の卒業式での園遊会シーン(Heaven’s Gateでの移民たちのダンス・スケートやワイオミングの決戦の場面などにおける円周運動と同期するためとても重要である)などがカットされてしまったことはよく知られている。とはいえそれに先立つ1週間のニューヨーク・プレミアで、ショットとシークエンスに関して216分版とほとんど同様の219分版が公開され、同じバージョンが82年にZ Channel で放映されてから、ビデオおよびDVDでも149分版が用いられていないことにも注意が必要である(日本で発売されている旧DVDも219分版である)。これは今回の日本での『天国の門』劇場公開に際してはっきり指摘されておらず、またSNSなどでも観客の話題になっていないように思われる(日本のSNSでの評価については、Togetter を参照した)。

わたしはクライテリオン版を持っておらず、今日シネマート新宿で216分版をはじめて見た。その冒頭には、このバージョンがオリジナル・ネガ(テクニカラー作品なので、レンズを通して3原色用に分光したモノクロフィルムが3種類ある)から新たにチミノ監督自身の監修による色彩設計を経たオリジナル・マスターを起こした上でデジタル化したという説明が付されている。英語版Wikipedia によれば、216分版と80年プレミア公開219分版(=旧DVD版)との内容上の相違は、ジョン・ハートが撃たれた後のショットなど、後半のいくつかのショットのカット尻の相違であり、新たに挿入されたエピソードはない。この指摘が正しいとすれば、今回公開された216分版の本当の価値はむしろ画像、とりわけ色彩の効果にあるのではないだろうか。また本作のオリジナル・ネガは大半が散逸しているはずなので、今回の新ディレクターズカットを制作するにあたっても、219分版を再使用せざるを得なかった箇所もあるに違いない。これはわたしの印象に過ぎないが、新宿で上映された版の中にも、保存状態に明らかな相違のあるショットがいくつか見られた(たとえばラスト近くの決戦の後、雪山を見はるかすワイオミングの草原を去っていくクリストファーソンをバックから撮る大ロングショットは、他のショットよりも不鮮明である)。ひょっとしたらクライテリオンの付録でこのあたりの事情もくわしく説明されているのかもしれないが、劇場公開に際してもこうしたバージョン情報は極力詳細に明らかにしてほしい。

ここから先は雑感であり、本作についての分析でも評価でもない。オーソン・ウェルズの『オセロ』は資金難ゆえに何度も中断しながら制作された。ウェルズが他の仕事(演技、脚本、舞台演出、執筆など)をしてある程度を稼ぎ出すと、そのつどキャストとスタッフが集めなおされ、撮影が再開されるのである。したがって、たとえば冒頭とラストのデズデモーナとオセロの葬儀のシーンと、ヴェネツィアの宮殿のシーンとでは撮影された素材そのものが異なる質感を与える。にもかかわらず作中の時間の経過の表現に破綻はまったくない。むしろ必要な素材をぎりぎりの資金で撮る困難が、編集をきわめて厳密にしたのではないかと思わせる。『天国の門』についての評価は今日のところは控えるが、撮影された膨大な分量のフィルムから必要なショットを選び出し、それらをモンタージュしていく過程にどれだけ制作者の「意図」が効果的に機能するのか、この点にわたしは疑問を持つ。しかも一般公開されてから30年以上を経て、再びネガを探し出して色彩設計とモンタージュをやり直すとすれば、そこに働く制作者の意図なるものが、当初のそれと同一であることはもはやあるまい。

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