ミリアム・ハンセン「初期映画/後期映画」紹介

ミリアム・ハンセンは、主著『バベルとバビロン』(Babel and Babylon: Spectatorship in American Silent Film, Cambridge, Mass.: Harvard univ. Press, 1993で知られる映画研究者、文化社会学者である。これから紹介する「初期映画/後期映画――公共圏のトランスフォーメーション」(初出はScreen誌1993年、修正版の単行本への再録は95年)は、古典映画の時代(30-60年代)を挟むプレ/ポスト古典期の相同性を、両者の形式上の相違を越えて「公共圏」の変動という観点から捉えた論考だ。興味深い点のひとつは、70年代までに支配的だった記号論的、あるいは精神分析的な映画理論からの脱却にあたって、観客性(spectatorship)と公共圏(public sphere)という概念枠組みを採用し、後者についてはオスカー・ネクト、アレクザンダー・クルーゲというフランクフルト学派に連なる思想家(クルーゲはこのブログでも何度か触れた通り映画制作の実践者でもある)の議論に依拠していることである。日本では映画作家としてのクルーゲの紹介さえ満足に行われていないなか、この論文には貴重な邦訳がある(瓜生吉則、 北田暁大「初期映画/後期映画――公共圏のトランスフォーメーション」(吉見俊哉編『メディア・スタディーズ』せりか書房、 2000年)。ぜひ多くのかたに読んでいただきたい優れた訳業であるが、残念なことに品切れで、公立図書館で読むにも不自由がある。そこでこのエントリーでは、極力本文のコンテクストを維持しながら、ブログ記事としての読みやすさを狙って、概要を掲載することにした。昨日のエントリーで取り上げたネクト-クルーゲの『公共圏と経験』に寄せたハンセンの序文は、本論文に先立つ1991年に執筆され、93年に出版されたものである。ふたつの文章にはネクト―クルーゲの議論を取り上げる箇所で共通する部分が複数ある。近いうちにもうひとつの文章の概要もこのブログにアップするので、今回のエントリーはその予備作業でもある。掲載にあたって瓜生、北田両氏の訳文に依拠したが、『公共圏と経験』序文を参照して異なる訳語を用いた箇所がある。また本概要そのものの文責はわたしにある。論文の存在をご教示いただいたN氏に記して感謝いたします。

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ミリアム・ハンセン「初期映画/後期映画――公共圏のトランスフォーメーション」の概要

70年代の記号論的-精神分析的映画理論が想定していた大文字の観客(the spectator)という概念の陳腐化は、古典映画を受容する主体をもっぱら映画の観客モデルとみなしてきた仮設の動揺を意味する。70-80年代に映画の制度を切り崩した変化、たとえばフィルム消費の場を映画館から家庭へ移行させる技術と経済の進展は、長らく古典映画に固有のものとされてきた熟視し耽溺する観客の美学を、一瞥の美学へとって代わらせた。オーディエンスの散逸化に呼応して、映画の製作者側も受け手の多様な関心に合わせ、あの手この手の注意喚起(アトラクションattraction)を図る。観客性(spectatorship)の古典的なモードが完全に消えたわけではないにせよ、それはもはや観客であることの数多い選択肢のひとつに過ぎない。

古典映画の消費形態が解体した後の現在の状況は、初期映画との相同性を感じさせる。トム・ガニングは初期映画とその観客の関係を示すために“注意喚起の映画(cinema of attraction)”という用語を作り出した。ここにはエイゼンシュテインのattraction のみならず、商業エンターテインメントのショー的要素の意味がこめられている。初期映画のスタイルは、古典映画の再現前性との対比で言うと現前的である。初期映画と現代映画のこうした相同性はノエル・バーチ以来しばしば取り上げられてきた。ただし両者を比較する作業はたんなる形式主義的なアナロジーや、懐古趣味または文化的フェティシズムに陥ってはならないし、それぞれの歴史的差異を抹消することなく進められるべきである。

私(Hansen)がポスト古典映画からプレ古典映画に向けて線分を引く意味を認める理由は、たんに両者の形式的類似にあるのでなく、それぞれの時期が公共空間の転換期であるゆえに、両者の形式的類似を通してより踏み込んだ探究が保証されることにある。「私はここで公共的(public)という言葉をその最も一般的な意味において、つまり、ある種の言説のマトリクスあるいはプロセスを指し示すものとして用いている。すなわち、我々の社会的経験は、それを介して、間主観的で本質的に集団的、かつ抵抗的な形をとりつつ、接合・解釈・折衝・競合されていくのである。このような公共性という用語についての理解は、ユルゲン・ハバーマス、オスカー・ネクト、アレクザンダー・クルーゲといった論者の研究と結びつけられるフランクフルト学派の伝統において展開された議論に負っている。実際私は、公共性なるものを問題の俎上に乗せたことこそが、おそらくは今日の映画理論、大衆文化理論に対しフランクフルト学派がもたらした最も実りある遺産なのだと論じていくつもりである。私はフランクフルト学派の伝統における公共性をめぐる議論を、徹底して主体性を再構築していく過程(reconstruction)のなかで映画や大衆文化が占める重要な役割を書きとめるという、初発からの批判的プロジェクトの継続として理解している」(瓜生吉則、北田暁大訳)。

フランクフルト学派における公共性の議論は、近代メディアがもっていた解放的で民主的な可能性が失われていく姿を見据えるものでもあった。この文脈から見て、クルーゲがアドルノの“文化産業”に対する分析視座を共有していることは納得できる。しかし、クルーゲ自身は、オルタナティヴなフィルムやメディア文化に加担する映画製作者・アクティヴィストとして、アドルノの哲学(特に否定弁証法と非同一性の概念)に依拠しつつも、文化産業論のアポリアを、商品と同一性に関する論理から公共空間のダイナミズムへとフレームを切り替えることによって、揺り動かし始める。

公共圏の概念を18世紀の登場時点から追尾する、ハバーマス『公共圏の構造転換』(1962年)のアプローチは、公共空間の啓蒙的理念を決定的な規範とすることで、19世紀以降のマスメディアに媒介された公共圏をもっぱらその解体と没落という視座から捉える。文化的な理性討議(Räsonnement)から文化消費へ移行することで、公/私の弁証的なあり方は個人的な受容行為へと解体される。こうしたハバーマスのアプローチの問題点は、それが文化産業論的パラダイムから抜け出せないこと以上に、公共性の概念が対面コミュニケーションに即して論じられ、マスコミュニケーションに媒介された公共生活を考察する上で不十分である点にある。

ネクトとクルーゲの『公共圏と経験』(72年)は、まさにこのパラドクス(技術的・産業的に媒介された公共空間――言語的相互作用、参与、自己‐表象などの条件そのものを切り崩してしまった公共空間における公共的なるものの次元を、どのように概念化するかという問題)に対する見方に介入する。ネクトとクルーゲは、18世紀的な公共圏の理念がそもそもイデオロギー的であり、具体的な社会集団や(再)生産のための物質的条件などが排除されていたことを覆い隠していると論じ、リベラルでも文芸的でもなくなり、写真や電子メディアに規定される公共圏のあり方を、ハバーマス流の公共性の解体・没落とは異なる視角から理解する必要を力説する。

ネクト―クルーゲの議論にはふたつの大きな方向がある。1) 公共性概念の伝統的な理解を問いに付すこと。彼らは公共性という用語に異議を申し立てる様々な制度や行動を概観し、主流の公共空間における限定的で専門化された実践に対して、「公共性」のもうひとつの意味、すなわち「すべての社会構成員が現実的・仮想的にかかわりをもつ事象が集積される、経験の包括的地平」という意味を突きつける。こうして公共圏はコミュニケーションの形式的条件(自由に集まり、自由に話し、平等に参加して礼節を守って議論する)から、物質的・精神的・社会的な再生産における「生のコンテクスト Lebenszusammenhang」に根差した、「経験の社会的地平」にかかわるより包括的な概念へとシフトする。このような地平に含まれる事柄は、1.資本主義的で疎外された状況での(再)生産の経験、2.そうした地平としての経験がそれ自体システマティックに阻害(blockage)されること、すなわち経験の主体が公共的な表現・表象のネットワークから隔離されること、3.そうした阻害への応答としての、経験、リアリティとファンタジー、時間、歴史、記憶の断片を再編成するための想像的で抵抗的なモード。

2) 市場および特定の利害関心を越えて自律的とみなされるブルジョア的でリベラルな公共性のモデルを離れ、そのように分離・独立した地位を要求し得ない、新たな産業的・商業的な公共性の地平を描き出すこと。こうした「生産の公共圏 public spheres of production」には工場生産のコミュニティ、販売・消費の空間、映画および個人的に所有される「意識産業」のメディアなどが含まれる。産業的・商業的公共圏は、脱統合化されつつあるブルジョア的公共圏と手を携えている。しかしながら、それは同時に最大限の内摂(a maximum of inclusion)を指向する――自らの実体をなくすことによって、これまで表象されなかった様々な生の体験を貪欲に吸収し、それらを商品化して平らげた上で陳腐化してしまう。

『公共圏と経験』はプロレタリアート公共圏というアナクロニスティックな用語を自覚的に用いて、この断固として内摂を目指す地平に言及しており、それがオルタナティヴで反抗的な、あるいは対抗する公衆のあり方に予示されていると言う。プロレタリアート公共圏は経験的なカテゴリーではなく、批判的/ユートピア的のいずれの意味においても否定を指示するカテゴリーである。それは人間の労働、存在、経験の断片化のみならず、その弁証法的な対立項にも指示を及ぼし、全体性の下に捉えられた存在の条件なるものを実践的に否定していくものである。『公共圏と経験』に続く共著『歴史と頑強さ/自己-意志 Geschichte und Eigensinn』(1981)は、そうしたユートピア的な可能性を生産の過程そのもの、つまり「労働力の歴史的組織化」のなかに位置づけるようになる。なぜなら労働力は、いかに分離の過程(原始的蓄積や分業など)のなかで構成されようとも、商品という形において、こうした分離が現実のものとなる状況を乗り越える能力とエネルギーを持ち、それらを再生産しているいるからである。このようなエネルギーの実効性と程度は公共圏をどう組織化するという点にかかっている。

方法論的にいえば、こうしたことは所与の公共生活を分析する経験的アプローチと、可能性の観点から状況のダイナミクスを描き出す、公共的なるものに関する強い意味づけのあいだの往還を意味する。批判の尺度は、どの程度経験が(脱)組織化(dis/organized)されるか(上から、つまりハイカルチャーの排他的基準や所有への関心から、あるいは下から、つまり経験主体により自分の生のコンテクストにもとづいて)である。かくして政治的な課題はコンテクストZusammenhang(Jamesonの訳語では関係態relationship)を作り出すこと、孤立した経験の塊を結びつけること、個々の公共性や反公共性が隣接する地点を同定することだ。このような関係態の政治学は、ヘゲモニックなZusammenhang の形態(主流の公共圏による見せかけの統合)に抗して立ち上げられる。

ネクト―クルーゲはÖffentlichkeitあるいは publicness を一意的に定義・記述することはできないと言う。たしかに方法論上の目的から、彼らはブルジョア的/産業的-商業的/プロレタリアート的という祖型の差異を設けるけれども、問題は相互の重なり合い、共生、矛盾なのである。以上のように公共性なるものを、社会的経験を組織化する諸形態の混交的せめぎあいとして概念化することは、それをいつ爆発するとも知れない過程として捉えることにほかならない。そうした混交的ダイナミクスは不安定で突発的、予測不能な出来事へのポテンシャルをもつ。このように不均衡な公共生活の諸編成体の縫い目や裂け目においてこそ、オルタナティヴな整序や連携が現れ得る。初期映画の相対的な不安定性をめぐるガニングの洞察が評価を得られるかどうかは、それぞれの公共圏が、こうした即興性や再配置のための窓口をどれだけ広くとっておけるかにかかっている。公共性がもつこうした動態性もまた、初期映画を古典映画とではなく、現代の映画・メディア文化の局面と結びつけるものなのである。

映画を公共圏という観点から考察することの眼目は何か。クルーゲ自身は著述と映画・ビデオ制作を通して公共圏の政治を多様な実践へと展開させている。その映画美学の要は関係態に基づくモンタージュの概念(クルーゲによれば、それは関係態の形態学Formenwelt des Zusammenhangを担う)であり、それは観客がフィクション/ドキュメンタリーなどの類的な分断を越え、自分なりの結びつきを作り上げるように促す。こうした試みは主流の公共圏が固持してきた経験に対する構造的な障害への反作用となる。欧米におけるTVチャンネル多様化に伴い、主流の公共圏による独占が瓦解するなか、クルーゲは自らのプロジェクトを再定位した。商業TVの週刊番組編成をプロデュースしつつ、彼は電子的な公共性の環境においてオルタナティヴな映画のあり方(現代的なアトラクションの映画)を再び創造すべく尽力してきた。

クルーゲのまだある程度近代主義的な映画の美学を越えて、我々は近年の映画・メディア研究の主要な関心を呼び込み、さらに進展させるために、公共性の概念を動態化することができるかもしれない。特に公共性の観点から映画を考えることは、理論的かつ歴史的な研究の様式を横断するアプローチを含む。なぜなら映画はそれ自身公共圏としてだけでなく、より広範な社会的地平の一部としても機能するからである。この二重の照準を採ることで、パラダイム内の位置価は変位し、フォルマリストや精神分析的な映画理論の洞察(映画テクストの働きや映画受容の心的メカニズムをめぐる洞察)のある部分を救い出すことが可能となる。たとえ我々が特定の歴史的/社会的な枠組みのなかで受容のあり方を位置づけ、大文字の観客というカテゴリーを問題視するとしても、フィルムとそれを見る者、表象と主体性とのあいだに存立可能な関係を理論的に理解していくことは今なお必要である。後期資本主義の大衆文化におけるオルタナティヴな領有(appropriation)に関して提起された問題は、経験主義的な受容研究によっては答えられない。こうした問題は、記憶や無意識といったものを含んだ、フランクフルト学派的な意味での経験や、その経験が可能となる状況(行為主体性agency、解釈、自己組織化を制限すると同時に可能とする構造)を踏まえた観点から論じられる必要がある。

より経験主義的な指向をもった受容研究への転向(あるいは復活)とともに、良き鑑賞対象として映画が懐古趣味的な復活を遂げてもいる。しかし、主観主義的流儀によって映画に立ち会う経験を個人的なものへ還元してしまうと、今度は映画と個人の関わり合いを構造化したり可能にしたり、あるいは屈折させたりする主体性のより体系的なパラメータを取り逃がすことになろう。こうしたパラメータが他の要素と結びついて、我々の経験の地平は構造化されており、そうした地平があるからこそ個人的な経験について思索することができるのだ。個人と集団の記憶の引き金を引くことができるかどうかが、フィルムとその視聴状況の公共圏としての質を測る基準となる。

公共性の観点から映画を考察するということは、社会学的な決定因子(determinants)のみならず、多種多様で葛藤しあうアイデンティティと構成因子(constituencies)という観点からも、受容の地平を再構築することを意味する。映画はアイデンティティと他者性の社会的な位置に挑戦する母胎として機能することもあるし、新たな共同体や連帯を生む触媒として機能することもある。公共性というカテゴリーは、集団的な自己決定という理想に基づいた、批判的でユートピア的な鋭さを保持している(この視点を採るなら、商業的催しに批判的な態度を維持しながら、メディアが作り出すものや表象と受容の関係の組織化について、オルタナティヴなあり方を思い描くことができるだろう。その意味で、公共的なものの概念は、カルチュラル・スタディーズのある方面では常習になっている消費の理想化に歯止めをかけることになる)。

結論として、現代映画の進展を見定めるためにも、初期映画の意義に立ち戻ることにしよう。私(Hansen)は別のところ(Babel and Babylon: Spectatorship in American Silent Film)で、初期映画および初期的な興行実践がオルタナティヴな公共圏を成立させる条件を提供したと論じたことがあるが、とりわけそれは工業‐商業的な公共圏にあてはまる。無声映画とは、重なり合いつつも不均衡に葛藤する公共性が立ち現れる場だった。混交する公共圏としてのニッケルオデオンは、ライブ・パフォーマンスの伝統と国内的・国際的な規模で流通する工業製品とを結びつけるものだった。つまりここでは、技術に媒介された公共性と、対面的な関係に基づく公共性とが共在していたのである。

とりわけ映画興行をライブ・パフォーマンスと捉えること(流通商品としてフィルムは不完全だった)によって、即興性、解釈、予測不可能性などの余地が生まれた。そして興行は公共的なイベント、集団的な経験の地平となったのである。こうした動きはローカルなレベルに限定されず、大衆文化の浸透のおかげで、伝統的な文化や領土の境界を越えて広がっていった。スターシステム、特にハリウッドの指向と対立し、市場原理に適ったペルソナをもったスターの登場は重要である。スタジオのパブリシティとファン・マガジン、そして実際の観衆のあいだで駆け引きがなされることで、サブカルチャーの受容形態は繰り返し立ち上がってきた。

最初の問いに戻ろう。我々はいかにして観客性のプレ古典モードとポスト古典モードとを、あるいは大衆-消費文化のアーリーモダン的形態とポストモダン的形態とを比較することができるのだろうか。社会的・文化的な水準にとどまらず、資本と産業の組織化という点で実質的に異なる歴史的な発展段階を扱っているのは明らかだ。にもかかわらず、公共圏という観点を持ち出すなら、両者のあいだには数多くの類似点が姿を現す。いずれの時期についても特徴的なのは、文化的な表象と受容の関係が根本的な変容を被っていること、そしてあいだの数十年(古典映画の時代)が相対的に安定したものに見えるほどの不安定さを孕んでいることである。ふたつの時期のメディア文化は、テクスト戦略の駆使と上映コンテクストの抑圧による物語世界的効果(diegetic effect)を通じて、受容のあり方を統制する古典期の規範と、いずれも袂を分かっている。アーリーモダンとポストモダンのメディア公衆は、周縁的なるもの(the periphery)に多くを依存している。

初期映画は「実際には採られなかった数多くの進路」(トム・ガニング)を内包していた。ポストモダンのメディア文化は、新たな方向性を切り開くという点では初期映画と同工であるけれども、非常に強い誘惑や操作、破壊の力に結びつく可能性にもその特徴を認めることができる。アーリーモダンとポストモダンのメディア消費形態をひとつの布置のなかに描くことで、ハリウッドの自己宣伝と機能主義的な映画史のなかで古典的なパラダイムが手に入れた必然性のいくつかを取り去ることもできるのではなかろうか。公共生活の歴史のなかに、このふたつの時期を境に線分を引くと、古典的な映画と大衆文化が、目的論的な規範というより歴史の小休止、おそらくは凍結期のようなものに見えてくるかもしれない。そのように理論の枠組みをシフトさせるなら、古典映画それ自身も、現在支配的な研究がいうほどの古典性を見せることはなくなるだろう。

出典

Miriam Hansen, “Early Cinema, Late Cinema: Transformations of the Public Sphere” (Linda Williams(ed.), Viewing Positions: Way of Seeing Film, New Brunswick: Rutger unv. Press, 1995); 邦訳, 瓜生吉則, 北田暁大「初期映画/後期映画――公共圏のトランスフォーメーション」(吉見俊哉編『メディア・スタディーズ』せりか書房, 2000)

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