歌謡映画について――清順『浮草の宿』

結論を先に言うと、鈴木清順初期の「歌謡映画」をわたしは高く評価する、というだけである。

『公共圏と経験』へのハンセンの序文には、クルーゲについての短い紹介が含まれている。それを通してわたしは、大学での彼の副専攻が宗教音楽だったことを知った。すると “Die Patriotin” “Die Macht der Gefüle”などでの、モンタージュの構成要素としての音楽の巧みな使用は、クルーゲの初期からの関心によるところが大きいのだろう。映像(ドキュメンタリー素材となり得る記録映像、絵画・漫画・写真・文書・字幕などの静止画像、俳優を使った劇映画的な動画の間に、支配的/被支配的という階層的な区別はない)と音声・音楽が対等に扱われ、かつそれぞれの構成要素が分断され干渉し合うクルーゲの作品は、モンタージュにおける音楽の扱いの原始的なかたちを示すので、このような作品こそ映画にとって音とは何か、また音はどのようなものであり得るかを教えてくれるよいお手本である。

クルーゲの作品を実験的と考えるのは大きな間違いで、むしろ一般的な劇映画がモンタージュに際して採用する文法規則、すなわち支配的な要素(ふつうはストーリーなり主たるモチーフなりを観客に印象づけるフィクショナルな映像の連なり)とそれに従属する要素(断片化された挿入ショットや音声・音楽はたいていこちらに入る)の間の階層を、彼の映画はなくしてみせるだけのことである。この試みを通じて、いまの映画において偏った習慣と化してしまったモンタージュの、より広範な可能性が体験できるようになる。

クルーゲの映画作品は、音声・音楽が映像群と対等に扱われ得ることを示すだけでなく、前者がモンタージュの支配的な要素になる可能性をも教える。このことはすでにストローブ=ユイレが『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』(1968年)で実践しているし、マルグリット・デュラスに至っては『インディア・ソング』(1974年)のサウンドトラックを『ヴェネツィア時代の彼女の名前』(1976年)にそっくり転用し、そこで語られる言葉とは無関係な廃墟の映像に重ねてみせた。これらの実践は実験というよりもモンタージュの方法の再検討に過ぎず、やっていることはふつうの劇映画の場合とほとんど変わらない。変わりがあるとすれば、採用されたモンタージュ素材相互の関係と、あとは一定の習慣になじんできた観客の側の違和感である。

以上を前提に「ふつうの」劇映画における音楽の位置について考えてみよう。ミュージカルやオペラなどを映画化するのでない限り、音楽は作品全体の伴奏(いわゆる劇伴=テーマ音楽)であったり、一場面のなかで奏でられるものだったりする。やはり劇映画の常套手段ではあるものの、これらに比べモンタージュの可能性に対してより意欲的なやり方は次のようなものだ――はじめに作中のある場面で音楽が演奏される(そこでは登場人物たちもその音楽に耳を傾ける)けれども、それがカットを越えて持続したり、最初の場面とは異なるショットで再現したりする。ファスビンダーのほとんどすべての作品は、こうした少しばかりメロドラマ的な音楽の編集を行なっており、彼の作風を代表するものと言っていい。たとえば『マルタ』の場合、ブルッフ(ヴァイオリン・コンチェルト)のアダージョの旋律は、観客だけに聞こえ、劇中の人物には聞こえない音楽として用いられる一方、劇中の人物はドニゼッティやオルランド・ディ・ラッソなどのレコードを聴く。観客には異なる2種類のタイプの音楽が交錯して聞こえるわけで、この手法はゴダールの『勝手に逃げろ/人生』などでもおなじみのものである。後で清順最初期の「歌謡映画」におけるモンタージュを取り上げるときに、ファスビンダーやゴダールによってポピュラーなものになったこの音楽の扱いの、より挑発的な例を見ることになる。

その前にミュージカルやオペラの映画化という、音楽が主役であって当然のケースをもう少し検討してみよう。音楽が文字通り「伴奏」であったサイレントの時代には、弁士・ミュージシャン・フィルムが競い合い、即興的に映画が「編集」されていくのを目の当たりにすることが、観客の主要な楽しみだったはずである。トーキー技術が出現した1930年頃からは、代わって製作者が台詞と音楽を独占的にプロデュースするようになるわけだから、サイレント期の興行の華やかさと盛り上がりに匹敵する様式として、ハリウッドがミュージカルに注目したのは当然である。それゆえRKOが放った一連のアステア=ロジャースのミュージカルは、サイレントとトーキーの橋渡しを音楽という観点から見る上で重要である。早くも30年代に古典的な「完成」を見た(この言い方はガニングやハンセンから叱られるかもしれない)ミュージカル映画の様式が、いまに至るまで劇映画というジャンルの全体に大きな影響を与え続けていることはたしかである。

ただし、ミュージカルやオペラを映画化する際の技術的な側面に目を向けると、サウンドトラックと動画の分断という問題がある。つまり製作を合理的に進める目的で録音と撮影を別個に行ない、後で両者を重ねる方法が採用されやすいということだ(代表的なのがアフレコである)。例外もある。『レ・ミゼラブル』(2012年)はピアノ伴奏に合わせてセット内で俳優たちに歌わせ、同時録音で撮影した映像に後からオーケストラ伴奏をかぶせている。これは撮り直しのリスクに挑戦する例外的な方法で、俳優たちが演技と同時に歌うことが、ライブ・パフォーマンスとしての臨場感を生み出す。同様の手法にいち早く挑戦した作品として知られているのはジョゼフ・ロージー『ドン・ジョバンニ』(1979年)で、こちらは全曲録音が先に行なわれ、歌手たちがオーディオで再生される自分の歌、あるいはセット脇に用意されたチェンバロの伴奏に合わせて歌いつつ演技するのを撮影している(ロージーははじめ撮影現場にフルオーケストラを持ち込もうとしてプロデューサーから拒否された。そこでプレレコーディングに合わせて歌う歌手の撮影という策を採ったのだが、それでも歌手たちのストレスは大変なものだったという)(注)。

注 ただのプレレコ(=プレイバック)では? と思われるかもしれない。モーツァルトの時代のオペラはアリア(オーケストラによって伴奏される独唱)の前に、たいていレチタティーヴォ(語りに近い朗唱)がついていて、これにはオーケストラを伴うアコンパニャート、チェンバロを伴うセッコのふたつのタイプがある(『ドン・ジョバンニ』のレチタティーヴォは大半がセッコ)。全篇デモーニシュな緊張感に満ちたこのオペラでは、アリアからアリアへの経過部でいろいろ重要なできごとが起こり、多くは演技とともにレチタティーヴォによっても叙景・報告される。ロージーはレチタティーヴォ・セッコのすべてを撮影現場に持ち込んだチェンバロ伴奏によって同時録音しているのである(出典=ミシェル・シマン『追放された魂の物語 映画監督ジョセフ・ロージー』 p.439)。それまで多くのオペラ映画が俳優と歌手を分け、プレレコ音源に俳優の演技を合わせていく方法に頼っていたのに対し、ロージーの『ドン・ジョバンニ』はオペラ歌手を俳優として起用したことだけでも画期的だったが、その上レチタティーヴォを同時録音することを通して歌手=俳優を演技へと誘導した上で、プレレコによる本人の歌唱に合わせてさらに演技を展開させるという、現場のスタッフにとって手間のかかる試みに挑戦したのである。撮影の様子と出演者へのインタビューが紀伊國屋書店から出ているDVD版『ドン・ジョバンニ』の特典DVDに収録されているので、関心のある方はそちらをご覧になることをお奨めする(11月8日記)。

たとえ部分的でも同時録音の試みは大規模でお金のかかるプロダクションになるため、製作者にとっては大きな賭けであり、この方法は避けられる傾向にある。もちろん録音と撮影の分断自体には、製作の合理化の手段というだけでなく、モンタージュを行ないやすくする面もある(音と映像をミニマルに分解して組み立てるタイプの作品では、同時録音の必要などない)。とはいえ撮影された映像と録音された音楽とが、互いに独立した素材として競合するのでなく、ある段階までは同期することを狙っているミュージカルやオペラで、いわゆる「口(くち)パク」は音楽を映像に従属させることに他ならない。ストローブ=ユイレ『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』という完全な同時録音で撮られた作品が、映像と音楽の間の徹底的な非同期効果を発揮する逆説的な例を想起していただきたい。映像と音楽のモンタージュは、無関係に撮(録)られた異質の素材をただ重ねるだけでできるものではないことがわかる。リスクを避けた撮影と録音の非同期(特にアフレコ)は“はじめから”人工的な印象を与えやすいため、作り物としての魅力をあえて発揮させることに成功しない限り不完全である。アステア=ロジャース作品の場合、あれほどのダンス・パフォーマンスに同時録音で歌唱を重ねることなど不可能であることはだれの目にも明らかだが、ダンスの持つ力がそれ自体音楽的な要素を形成するため、この意味では同時「録音」であり、歌唱のアフレコの作り物としての魅力とは別の魅力を発揮する。

音楽がモンタージュの基軸をなすタイプの映画に限っても、このように同時録音をベースにするか撮影と録音を非同期にするかで大きな違いが生じる。後者の実験的な例はミニマリズム映画、より身近な例は音楽を重視するアニメーションだろう。ここでは劇映画における過激な例として清順の歌謡映画、『浮草の宿』(1956年)を取り上げる。日本のミュージカル映画の嚆矢にして代表作といえばマキノ正博『鴛鴦歌合戦』(1939年)で、ちょんまげとキモノ姿の人物がジャズに合わせて歌いかつ踊るという、文字通り異質の要素のぶつかり合いが撮影と録音の非同期性に適合し、作り物としての奇想天外な効果を上げている。ダンスの視覚的効果が音楽を誘い出す点はアステア=ロジャースの場合と同様である。ただし、この作品は多分にお正月気分を盛り上げることを意図して製作されたものであり、キッチュな演出と編集はハリウッドのミュージカルに比べれば例外的なものだった。じっさい“映画オペレッタ”というジャンルは日本に定着したとはいえず、清順最初期の2作『港の乾杯 勝利をわが手に』『浮草の宿』(ともに56年)のような「歌謡映画」は、映画に先立ってヒットした曲や、会社が売り出しをサポートする歌手を映画そのものの企画と強引に結びつける言わばまがいものである。特に『浮草の宿』は、春日八郎の同名のヒット曲にあやかって企画され、春日自身が基本のストーリーから浮いたかたちで唐突に何度も登場する。企画の段階でこの設定を押しつけられて撮るのだから、すでによく知られている歌の方に映像を従属させざるを得ない。この点は作品の構想に合わせてオリジナルの音楽が作曲された『鴛鴦歌合戦』とはまったく事情を異にする。

『浮草の宿』は、ほんとうにとんでもないことになっている。参考までにそのとんでもなさがよく表れた3箇所を例示してみよう。

1. 異例に長いアヴァンタイトル。ここでは時間的に同期するふたつの場面(横浜港でのアクションと、バーのなかでのできごと)が並行してモンタージュされ、まだ春日と彼の音楽は登場しない。なぜこの作品に限ってタイトル前にこれだけ長い場面があるのかといえば、理由は春日と歌を出したくないからである。というのは、タイトルバックで春日の曲が流れるところから、本作品はいよいよ「歌謡映画」としての本性を現わすわけだが、なぜかシナリオが目指しているのは歌の内容と縁もゆかりもない「アクション作品」であり、両者は結びつかないのである。清順の解決策は、両者を結びつけないことであった(わたしは見事に解決されていると見るが、会社は企画の段階でたぶん解決を諦めていたと思う)。こうして春日も歌も無視した長いアクションシーンがタイトル前に置かれることになり、いま本作を見る観客は同時に「歌謡映画」というあだ花のような歴史的ジャンルと、清順ならではの凝ったモンタージュに満ちた痛快アクション(春日の演技も、清順の“狂ったアクション”の風変わりな一例となっているので、この意味でのアクションであることは間違いない)を楽しむことができる。

2. 二谷英明を執拗に殺そうとする安部徹がホテルの部屋の前まで迫りながら、流しのギターを携え、歌いながら登場した春日の存在にひるんで凶行を思い留まる場面。ここでアクションと「歌謡」はようやく接点を見出しかけるものの、安部の行動にはっきり表れている通り、両者は交わることなく終わる。ふつうの解釈ではこういう局面を作品の“失敗”と呼ぶようだが、わたしはこの立場を取らない。

3. アクションがすべて片付き、作品が文字通りの「歌謡映画」のカテゴリーに立ち返る(それもはじめて立ち返る)ラストシーン。留置場の高い壁の上部にある鉄格子の向こうに、春日八郎(流しの歌手と見せかけて実は麻薬取締官だった)がその妹に歩み寄る足元が見える。春日の妹(清純な少女)は、正当防衛とはいえ何人かの生命が失われる行為の結果留置場に入った二谷を愛している。ショットが変わって兄妹の歩きながらの会話(二谷は急な事情で香港に去ったが、近いうちに妹のもとに戻ってくると兄は語る。二谷の服役を隠しているのである。とはいえ彼の側に正義があること、またなにより妹への真摯な愛を知った春日の計らいで、二谷は短い刑期を勤めればよい)。兄妹は港を見下ろす舗道を歩く。カットが入って、ラストはまず歌いながらひとり港に沿って歩く兄を一段高い舗道から見下ろす妹からの視線のショット、歌は続き、映像は先のショットから引き続きクレーンで港の景色をぐるっと見渡し(二谷が乗ったと妹の考える客船の全景が入る)、今度は180度ターンし、港を見やる妹の上半身を映して終わる。このラストのクレーンショットは、春日の歌の持続に合わせて映像の方も長回しで一度に撮っており、本作中段の複数の乱闘シーン、二谷と元恋人の妹(山岡久乃)との対話の箇所、そして二谷と新しい恋人(春日の妹)が陸橋から赤レンガ倉庫まで歩く場面などに特徴的な、短いショットの技巧的なモンタージュとはまったく異なる表現である。つまりラストシーンにおいてはじめて、あえて監督は歌に対して映像を譲歩させている。

要するにこの「歌謡映画」において、かんじんの音楽は招かれざる主役なのである(うっかり「浮遊するシニフィアン」などと口走りたくもなるが、余計なひと言であった)。しかし、会社の無理難題と格闘し、いま見たように1.アクションによる音楽の排除、2.アクションと音楽のすれ違いのモンタージュ、3.ようやく音楽を主役として扱う長回しのショット(1.における映像の優位とは正反対の表現)を組み合わせてひとつの作品を構成してしまうところに、『浮草の宿』の過激さがある。招かれざるものとはいえたしかに音楽はこの映画の主役なのであり、物語から追放されたり、物語に介入したり、あるいは物語を追放したりしながら作品のなかを漂流している。たとえ作品の構成がそれによって破綻しているように見えるとしても、このような音楽の漂流あるいは遍歴を提示しているという事実は、映画における音楽の位置を考える上で『浮草の宿』が貴重な存在であることを証明している。

 

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