Soviel Gestirne(Paul Celan, 1963)

Soviel Gestirne, die
man uns hinhält. Ich war
als ich dich ansah – wann? -
draußen bei
den andern Welten.

O diese Wege, galaktisch,
o diese Stunde, die uns
die Nächte herüberwog in
die Last unsrer Namen. Es ist,
ich weiß es, nicht wahr,
daß wir lebten, es ging
blind nur ein Atem zwischen
Dort und Nicht-da und Zuweilen,
kometenhaft schwirrte ein Aug
auf Erloschenes zu, in den Schluchten,
da, wo’s verglühte, stand
zitzenprächtig die Zeit,
an der schon empor- und hinab-
und hinwegwuchs, was
ist oder war oder sein wird-,

ich weiß,
ich weiß und du weißt, wir wußten,
wir wußten nicht, wir
waren ja da und nicht dort,
und zuweilen, wenn
nur das Nichts zwischen uns stand, fanden
wir ganz zueinander.
(Paul Celan : Die Niemandsrose, 1963)

ぼくたちに差し出される
こんなに多くの星たち。ぼくは、
ぼくがお前を見つめていたとき―いつ?―
外の
別の世界のもとにいた。

おお 銀河系の、この道たち、
おお ぼくたちに
夜たちの重さを測って
ぼくたちの名前の重荷のなかへ渡したこの時刻。それは、
ぼくは知っているのだが、本当ではない、
ぼくたちが生きていたことは、
ただひとつの息が 盲目のまま
「あそこ」と「そこ‐でなく」と「時折」のあいだをいった、
彗星のように ひとつの目が
消えたものに向かって 音立てて飛んだ、峡谷のなかで、
そこに、その目が白熱して燃え尽きたところに、
乳首のように壮麗に 時が立っていた、
それをつたってすでに 上に、下に、
彼方に、伸びたのだ、
ある あるいは あった あるいは あるであろうものが―、

ぼくは知っている、
ぼくは知っている お前もまた知っている、ぼくたちは知っていた、
ぼくたちは知らなかった、ぼくたちは
そこにいたのだ、あそこではなく、
そして時折、
無だけがぼくたちの間に立っていたとき、
ぼくたちは親しみ合った。
(中村朝子訳「誰でもない者の薔薇」、『改訂新版 パウル・ツェラン全詩集Ⅰ』)
カテゴリー: ツェラン   パーマリンク

コメントは受け付けていません。