Soviel Gestirne について

Soviel Gestirne”における「ぼくたち」の関係は次のごとくである。第1連によると「ぼくがお前を見つめていたとき」、ぼくは「外の別の世界のもとにいた」(ただし、いつであるかはわからない)。最後の連によると「無だけがぼくたちの間に立っていたとき、ぼくたちは親しみ合った」。

ぼくがお前を見つめる行為と互いに親しみ合う状態とをためしに同一視してみよう。この仮定の下では、ふたりはそれぞれ別の世界のもとにいるとき、しかも無がふたりの間に立っているときに、親しみ合えることになる。ここでは無がふたりの間に立つということを、ふたりは媒介する何ものもなしに隔てられているという強い意味に取りたい。たんにふたりの間に何ものもないという弱い意味に取ると、ふたりはぴったりくっついていることになるから、第1連の「外の別の世界」と逆の話になってしまう。ツェランの詩に常に矛盾が含まれているということと、詩の整合的な解釈のために排されるべき矛盾とを混同しないようにしたい。詩が表現している矛盾と、解釈の混乱とは別の次元に属するからである。

さてさらに想像をたくましくして、この詩の「ぼくたち」がパウルとジゼルだと考えてみよう。伝記的な事実は脇に置いて、彼らの関係をひとつの極限にまで持ち込んでしまうことにする。ふたりは地獄篇第5歌のフランチェスカとパオロのように、ふたつでひとつの分かちえぬ魂となるくらいの「親しみ」で結ばれているとあえて想定するのである。

パウル・ツェランがこの詩で言っているのは次のことであると思われる。すなわち、このような「親しみ」は、「ぼくたち」が無によって隔てられていることと矛盾しない。それどころか、むしろ互いにまったく異なる世界に属している者の間にしか真の結びつきはない、と。誤解のないようにあらかじめ言っておくと、わたしは次のように肉体と魂を区別する立場には必ずしもくみしない。以下の見方は、こんなふうに考えたらわかりやすいかもしれないという一例に過ぎない――わたしたちの魂は、肉体と、肉体が含まれる物質の世界によって互いに隔てられているとしよう。そして肉体の直接的な結びつき、肉体を媒介する言葉や表情といった“意味するもの”、さらにはそれらを養う物質の世界をすべて無であるとみなす。この見方に立つと、魂と魂の間には文字通りDas Nichts(無)しかないことになる。魂はと言えば、それぞれ別々の世界のなかにいる。ところでそれら別世界にいる魂のうちふたつが、肉体と物質の無ということに気づいて、互いを見つめ合う状態を考えてはいけないだろうか。いま述べたふたつの事柄、肉体と物質の無に気づくことと、互いを見つめ合うこととの間には因果関係はなく、ふたつは同じ状態の二面であると考えよう。このようなふたつでひとつの魂の状態を「親しみ合い」と呼ぶことにしたらどうだろう?

繰り返すが、わたしはこんなことを本気で信じこむほどおめでたくはない。いまのはあくまでたとえに過ぎない。魂を持ち出さずとも、ジゼルとパウルの間には個と個の間の絶対の差異があり、しかもふたりはそれぞれの制作を通じて、そのような差異を具体的に理解し、それぞれの見るものと考えることがまったく別物であり、それらを媒介する通路などどこにもないことを知っていたはずだ。さきほどのたとえでは両者に因果関係はないと述べたが、ここでは経験的な過程を想定してあえて「だからこそ」と言う――だからこそふたりは「親しみ合う」のだ。ふたりが芸術家であることを引き合いに出すと、芸術を謎解きの道具にしているという批判を受けるだろうが、絶対的な他者の間に「親しみ合い」が成り立つ条件として、わたしはそれぞれが自分にしか入ることのできない世界を持っていること、つまり各人が真の芸術家であることをあげたい。

以上の解釈を前提にして、本題に入りたい。パウル・ツェランのこの“Soviel Gestirne”のふたつの代表的な邦訳(飯吉光夫氏と中村朝子氏のもの)を比較すると、重大な解釈の相違があることがわかる。先のエントリーでは中村氏の訳を引用させていただいた。その第2連の真ん中に「ただひとつの息が 盲目のまま/「あそこ」と「そこ‐でなく」と「時折」のあいだをいった」とある。これは原詩の“es ging/ blind nur ein Atem zwischen/ Dort und Nicht-da und Zuweilen,”にあたる。zwischenは「のあいだを」、Dortは「あそこ」、Nicht-daは「そこで‐なく」、Zuweilenは「時折」である。中村訳を読むと、「あそこ」と「そこで‐なく」が場所を現わすのに対して「時折」だけが時の表現であるため、これを仲間外れに感じるはずである。原詩でも、本来時の副詞であるZuweilenが頭を大文字にして(そうするとドイツ語では名詞になる)名詞化されているため、やはり読者はおや?と感じるに違いない。

飯吉氏はこのZuweilenをあくまでつづく“kometenhaft schwirrte ein Aug/ auf Erloschenes zu, in den Schluchten,”を導く副詞とみなし、“zwischen Dort und Nicht-da”から“und Zuweilen”以下を切り離して訳されている。すなわち「一つの息が、盲目に、/〈彼方〉と〈ここに-いない〉との間を行っただけなのだ、そしてときおり、/一つの目が箒星のように/消滅したものめざしてくるめき飛んだ、」(飯吉光夫訳『誰でもないものの薔薇』、1990年)。“Zuweilen”が大文字化されているのは、ここからが新たな文で、文頭の大文字に過ぎないと取れば、時の副詞が強調されているというこの解釈が成り立ち、先のDort, Nicht‐da, Zuweilenのあいだの、カテゴリー・ミステイクに見える問題も解決する。

同じ問題は最後の連でも繰り返されるので、そちらを見ておいてから論を進めよう。“wir wußten,/ wir wußten nicht, wir/ waren ja da und nicht dort,/ und zuweilen,” のところである。この“zuweilen”はカンマで“ja da und nicht dort”から区切られているので、先のケースとは異なり、つづく最後の節にかかる副詞の「時折」と取るのが自然だ。おふたりの訳はこの点ではだいたい一致しているが、中村氏は第2連における解釈(「ただひとつの息が 盲目のまま/「あそこ」と「そこ‐でなく」と「時折」のあいだをいった」)との呼応または整合性を保持するため、「ぼくたちは知っていた、/ぼくたちは知らなかった、ぼくたちは/そこにいたのだ、あそこではなく、/そして時折、/無だけがぼくたちの間に立っていたとき、/ぼくたちは親しみ合った。」と、「時折」が前後のどちらの節にもかかり得るように訳出されている。飯吉氏の場合、第2連でも“Zuweilen”を副詞と取っていたので、当然次の訳になる。「僕らは知っていた、/僕らは知っていなかった、僕らは/たしかにそこにいた、彼方にはいなかった、/そしてときおり、無が僕らの間に立ったときだけ、 僕らは/見出した、まぢかな互いを。」

これは専門家だけが判定を下せるテキストクリティークの問題を含んでいるので、わたしのような門外漢に結論を出せるようなものではない。だから以下の意見は、先に見たこの詩の「ぼくたち」ふたりの関係に関する解釈、つまり絶対的な他者こそが「親しみ合う」ことができるというそれをふまえた場合、どのように考えるのが整合的かというひとつの仮説に過ぎない。

第2連と最終連とでは、Dort(あそこ)とnicht dort(そこではなく)、Nicht‐da(あそこで‐なく)とja da(たしかに そこに)の関係が逆転している。とはいえ最終連では「ぼくたちは知っていた、/ぼくたちは知らなかった」を受けて「たしかにそこにいた、あそこではなく、」とつづくので、第2連でそのあいだを盲目のまま「ひとつの息」が行った「あそこ」と「そこ‐でなく」の関係が否定されているわけではない。(ひとつの息は少なくとも「あそこ」と「そこ‐でなく」の“あいだ”を行ったのだから、「あそこではなく」と「たしかに そこ」の“あいだ”を行ったと言い換えても論理的に変わりはないが、これは本質的な問題ではない)。

鍵は第2連後半にある。ひとつの息が盲目のまま、あるもののあいだを行くことと、ひとつの目が消えたものに向かって飛び、白熱して燃え尽きること、このふたつのできごとは「乳首のように壮麗に、時が立つ」のを見出す同じできごと(Er-eignis)であり、だからこそ息は盲目で、目は燃え尽きるのだとわたしは解する。するとひとつの目が「時折」飛んで行くというのはおかしいし、「時折」飛んで行った先に「時が立つ」というのもへんである。ひとつの(盲目の)息とひとつの(燃え尽きる)目とは同一物のふたつの表現であり、いずれも「ぼくたちが生きていた」という錯覚が消えるところに現れる。息と目とは「ぼくたち」が互いのあいだの「無」に出会って「時」の立ち現れを見出す事態そのものである。したがって、ひとつの息は「ぼくたちが生きていた」という錯覚が生じるその場所と時のあいだ(この時は「乳首のように壮麗に立つ」時とはまったくの別物であり、現世において「時折」と呼ばれるタイプの時に過ぎない)を行かなければならない。だからこそパウル・ツェランは“zwischen/ Dort und Nicht-da und Zuweilen,”と書くのである。以上の理由でわたしは中村氏の訳を支持する。

同じ視点に立つと最終連の意味もある程度までは限定できる。この詩は絶対的な他者のあいだの「親しみ合い」を論究しており、そのような親しみ合いは、「ぼくたちが生きていた」場所と時をいったん出て、盲目の状態で「時」に立ち会うところに見出されると述べている。だから「そこにいた、あそこではなく、そして時折」というぼくたちの状態は、「無だけがぼくたちの間に立っていたとき、ぼくたちは親しみ合った」ことからはっきり区別されなければならない。よってそのような場所と時とは知っていたとも知らなかったとも言える性質のものに過ぎない。「親しみ合い」があるのは、あくまでも無が「ぼくたち」のあいだに立っていたときに限られるのである。

 

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