目黒対新宿ーー区立図書館抗争

昨日の言語行為論に触れたエントリーは、本屋で拾い読みしたベンジャミン・リーの論文「テクスト性、媒介、公共の討議」(『ハーバマスと公共圏』所収)のある箇所に刺激を受けて書いたものだ(中身はリー論文と無関係)。リーの論文はハーバマスを招いて行われた研究者たちの発表のひとつで、ハーバマスのコミュニケーション論へのさまざまな異論・反論を整理している。いわゆるデリダ-サール論争におけるデリダのコミュニケーション論もそのような反論のひとつとして登場する。ハーバマス自身、デリダの議論にコメントを寄せており、リーの論文にはその概要が紹介されている。もうひとつ興味深かったのはド・マンの「記号学とレトリック」(『読むことのアレゴリー』の冒頭論文)への言及で、リーによるとド・マンはここでパースの記号過程(Semiosis. パースは記号・対象・解釈項のトリプティックを2項関係に還元することはできないと言う)を参照し、解釈項を経由する記号相互の無限連鎖について論じているという(まだ「記号学とレトリック」を精読していないため、この記述は後で訂正するかもしれない)。要するにリーの企図は、コミュニケーションという概念を記号論や言語行為論などが開拓した知見によって洗い直すことにある。

わたしは『言語と行為』、『哲学の〈声〉』を手元に置いているけれども、じつを言うと『有限責任会社』も『読むことのアレゴリー』も所持していない(『読むことのアレゴリー』のほうは未読である)。本屋では、『ハーバマスと公共圏』から『読むことのアレゴリー』へ、さらにサールの『表現と意味』などを渡り歩いて、リーが言及していた箇所のいくつかを拾い読みしていたわけだが、帰宅してカヴェルとオースティンを読み直すうちに昨日のエントリーを書いてみる気になったのである。

ところで、昨日は多くの公立図書館の休館日だったので、わたしはウェブから『読むことのアレゴリー』『ハーバマスと公共圏』『言語哲学(ライカン)』などを検索して貸出の予約を試みた。ふだんわたしは新宿または目黒の区立図書館で借りている。いまあげた三冊は偶然かもしれないが、すべて目黒にあって新宿にはなかった。ちなみに先日エントリーで紹介したミリアム・ハンセンの「初期映画/後期映画」を含む『メディア・スタディーズ』も、新宿では見当たらなかったため目黒へ出かけて借りた。だからなんだという話であるが、都庁のある区の図書館に『読むことのアレゴリー』のような重要な著作がまだ入っていなかったり、『メディア・スタディーズ』や『ハーバマスと公共圏』のような公立図書館にこそ置くべき文献が欠けていたりするのは遺憾である。東京には都立中央図書館も国立国会図書館もあるので、各区の図書館の間にある種の協業の仕組みが設けられることは必要だろう。ただ、そういった仕組みが十分計画的に作られてはいないであろうこと、また仮に区間協業のような申し合わせがあるとしても利用者に周知されてはいないことは指摘されてよい。

 

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